この研究、結構おもろい。
森の木の葉にマイクロプラスチック蓄積 日本女子大など回収方法確立し実証
人間というものは、自分の意志で悪事をやっているという自覚を持てるほど強くはありません。「だって仕方ないじゃん」と思いながらやるのです。岸田さんに「なんでそうやって裏金を誤魔化すんですか。まずいってわかりますよね?」ときいたら、本音のところでは「だって仕方ないじゃん」と答えると思います。
法務委見たけど、めちゃくちゃだったね。
例のわけわからんサンプルについて、日本全体の25〜34才の年金未納率が3割くらいであり、子どもの永住許可を申請した永住者の未納率が1割程度だったことを踏まえて、「永住者の方が納付率が高いというファクトは認めますね?」と詰めた本村議員に対する小泉法相、例の数字は偏った母集団のものだから比較してどうこうというものではないとか答えてたけど、じゃあなんで出したんだよっていう。
それにほいほい乗っかって差別の片棒かつぐメディアもほんとね。
これは知らんかった。
まあ、やってないからあんま興味もないけど。
これは結構画期的かも。
ポリウレタンを炭酸水で簡単リサイクル 環境負荷の大幅な低減可能に
21世紀に公共の場からゴミ箱が消えた、というのは昭和の考える「未来の21世紀都市」であれば、街にはチューブ状のダストシューター網が張り巡らされて、ゴミは即処理場へと輸送されるみたいな状況であるはずだが、単に「なくなった」。 代わりに登山よろしく、みなそれぞれゴミを抱えてウロウロする世界になった。
ゴミ捨てが自己責任になったのは、医療と健康な生活が自己責任になりつつあることとパラレルであるが、ゴミに関しては日本の公共政策はそもそも貧しい。ゴミの日になると、道路の要所要所にはむき出しのゴミ袋が積み上げられ、みすぼらしいカラスよけネットをかけられて回収を待っており、回収にしても作業員が手で収集車に投げ込むという、この50年進化の形跡があまりみられない状況である。
どこの国に行ってもたいていそうであるが、標準化された巨大なゴミ集積ボックスが家屋ごとに、あるいは集合住宅ごとに設置されておりそこにいつでもゴミを投げ込んでよいことになっている。定期的にやってくる回収車は、小さなクレーンなどで半ば自動的にその巨大なゴミ箱の中身を回収していく、というスタイルである。
こーいうの見ると、静岡の前知事の懸念も妥当性があるよな。
読んだ。
全くもって同感でオモロい。
確かに、東大教授の見立ては浅すぎるよな。
3、4ページに記されてることが実態をよく表してる。
私は入管法関連についてずっと「いい加減にしてくれ」と思ってて、たぶんデモの中では入管法関連のデモに一番行ってるんだけど、それはたぶん、これがものすごく「自分ごとじゃない」からなんですよね。変な言い方だけど。この法案が通っても私の生活の実質は変わらないんですよ。圧倒的に、このイシューへの関心を切り捨てられる立場にいる自覚がある。実際私は大人になるまで入管を知らなかった。知らずにいられた。そのことがずっとショックなんです。組織的に人が見殺しにされているのが許されてる話なのに。おかしくない?
そうやって自分が安全なところにいるから、無関心でいられるし、その無関心がこの法案を通すし、でも私には変わらない快適な朝が来るんだ。それってすごく酷い話だと思ったの。うまく言えないな。