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なぜかホテルの庭園に設置された歩道橋の上で「宣教に行くよりプロパンガスの販売をやりたい」という神父の告解を聞くとかそういう脈略のない夢をオムニバスのように見て日中ぼんやりしてた。実際は目が覚める前の短い時間に見た夢なんだろうけどものすごく長かった。「夏にプロパンガスって売れるの?」じゃなかったよな言うべきことは。

操作を間違えてエレベーターの床と天井の間で押し潰されそうになるという夢を見た。

「生きているって楽しいな」というフレーズはすごい。鬼気迫るものがある。スチームローラーのような若さ…

MUBIでエドワード・ヤン『恐怖分子』をみた。おおう… 冒頭の無造作に転がる死体から画面に漂う暴力の気配が次第に1人の人間に凝縮していくようだった。繰り返しの日々には信じられないほど美しい瞬間が顕われ暴力はそこかしこにあり、そして結構身も蓋もなく人生は続く。初エドワード・ヤンだった。すごかった。

EUフィルムデーズで『一つの青い花』を観てきた。EEAOとテーマは近いのではないかと思った。母と娘3世代の物凄くひりつくけれど「まああるものでやっていくしかないわな」という諦念以外のものもいつかは生まれるかもしれない、でもそれも自分の慰めのためかもしれない、しかしそこには確かに相手への思いやりもある、という反復横跳びな関係。勤続20年欠勤なし夫はドイツに行って自分と娘を捨て(しかもこいつが職場で思い出の歌を歌い出す)両親は自分を失望の種と思っていることを隠さず娘は自分を反ロールモデルとしてサンドバッグがわりに蹴りを入れいてくるミリヤナの2日間。良かった。良かったが音楽がちょっと煩かった…

ろくにみたこともないのに私の中では大恐慌時代のフーバーダムみたいな位置付け。ハリーポッター映画シリーズ。

TTSS出てる役者でハリポタ出てないのまじでコリンファースとマークストロングだけだったのだろうか。

今初めてマクバーニーせんせいが屋敷僕だったと知ってわ?ふぁ?となっている。

“Master Harold”… and the boys をおうちNTで。アパルトヘイト下の南アフリカで育ったアフリカーナーの少年と母が経営するティールームに雇われている二人の間に起こったことを描く、原作者のフガード自身の後悔を強く投影した作品とのことでともすると自身の悔悟にのめり込むあまりかえってサムとウィリーを都合のいい存在にしてしまっていないかという点が気になったけれど演じる三人が素晴らしかった。中盤の凧揚げのエピソードと「あっというような話の転換」、戦争で片足を失ったアル中の父親のジョーク(「フェアじゃないのは?」)がいかに笑えたかとthe boysの前で話してみせるハリーの痛々しさが辛い。

おうちNTでゼイディ・スミスがチョーサーのバースの女房を翻案したウィルズデンの女房が配信されててこれは外文好きホイホイではないかと思うもののある時読書好きな人がゼイディ・スミスのハワーズエンド翻案もの「愛について」への怨嗟を一瞬覗かせその理性により押さえ込んむという現場に立ち会ったことがあるので下手なことはせんほうが良いのだろうという気もする。マスターハロルドの次はこれを観るのだ。

『愛の果てへの旅』煉獄としてのホテルと最後の審判のパロディのようなマフィアの幹部会、スーツケース運んでるだけのシーンでかかるカッコ良すぎて笑ってしまう音楽に葬儀馬車が石畳の上で立てる音スーツケースの音、最後思いもよらない距離に飛ぶ構図が良かった。もう視聴期限切れちゃってるけど映画祭終わる前にもう一回見たいな。

ソレンティーノ『愛の果てへの旅』スタイリッシュであることを自覚的に笑いに転換している感じで結構好きだった。スーツケースのガラガラ立てる音があんなにオシャレなことある?

7月に入った頃から夕方になるととにかくたまらなく眠くなっていたのが夜11時くらいまでは起きていられるようになってきた。夏バテだったんだろうか。

インターステラー、物理の世界に愛が力学として導入されるギリシャ哲学的世界観の映画だよ。

『あなたを探し求めて』で中盤に50年くらい前に撮られたTVドキュメンタリー挟んだ直後に監督であるエラ・グレンディニングを写したホームビデオ映像が逆回しで流されるところに感情を揺さぶられた。映画の力だなと思った。

Skip映画祭デッドヒートのせいで脳が睡眠モードの切り替わらない。

ソフィアの担当になった病室の欄に書き込むときのルイーズの「ヤッタレ!」という力強さ良かったな。生真面目に無茶苦茶なシフトで働く人たちのギリギリ状態と蔑ろにされてしまうものを生真面目に描いて面白いというの立派だ。変えんといかんデモ大事で締めるとこも好き。

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『助産師たち』出産を前に足を抱えて揺すると青い入院ガウンに透ける光の美しさが労働の内にある詩情という感じで心に残る。

Is there anybody out there? という呼びかけは社会に蔓延るエイブリズムが押し付けるカテゴライズへの呼びかけでもあったのかなと思う。私とそっくり同じ足を持っている人はいなくても、私たちとしてあることはできる。「生まれてこなければと思うことはありますか?」と面と向かって言うことはあり得なくても、あなたは「改善」されるべきだというメッセージは憚りなく発する社会の中で。

プロジェクター、どの辺が自分にとっての必要十分なのか分からず、漠然と欲しい気がするという状態を2年くらい続けている。つまり必要ないんだろうな…でもなんとなくあったらいい気がするのよ…

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