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今回の7万字怪対談を書きながら気づいたけど、エロゲの達成と見られがちな主人公の消滅とか無化みたいな要素って、00年代ネットの匿名と主体の希薄化・集合性となにかしら結びついていて、この消滅の美みたいなものってどうにもTwitter以後とマッチしないよなというものだった。

温マさんが忘れても、おれは忘れない。

おれは忘れてないよ、ジャルジャル with Chassol

ふつうにおもろいのでおすすめですよ。ライターの書く本の中では上澄みと言えそう。いろんな人に勧めた。こんなノリで「ふむ…」とリアクションされた

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温マさんもう「コラージュ」とか覚えてない説

(私は惰性で自分のWebサイトにAtomフィード(RSSと同じようなもの)を置き続けてます)
dbc-works.org/feedback/entry/f

これもすごいわかるな。podcast 配信とかもRSS置いとけばいいだけなんだけど、配信者側がどのくらいリスナーに届いたか気にすると(気にしない配信者いないとおもうけど)、プラットフォームに依存することになる。 https://www.mnot.net/blog/2024/08/25/feeds

パブリッシャーの立場から見たフィードの欠点のひとつは、自分のフィードがどのように利用されているかについての情報がほとんど得られないことである。 これは、プライバシーの観点からは大きな利点だが、ウェブフィードの普及を妨げ、電子メールによる購読(これにもプライバシーの問題がある)を強いることにもなる。

温マさんの火種のトゥート、よく読むと「情報収集にSNSを利用してる人って超少数派」のほうがSNSネイティヴ世代っぽい感じある

00年ごろにPCを買ったり大学のPCルームで無限にPC使ったりしてたころの感覚だと、ネットというのは「自分で『ぴあ』を作れる、やったぜ」みたいなもんだった。RSSはその生理からは理解しやすい。
植田さんの「人文ウォッチ」はその頃の路線の再開に近いよね。
webgenron.com/articles/jinbunw

インターネット老人会になっている理由、15年ぐらいの長期覇権を築いたTwitterの終わりがじんわり噛み締められて、Googleとyoutubeもいずれ死ぬというスケール感と別の秩序の期待があるからか。

もちろん、本当にまだRSSリーダーに頼っている人もいるけれども、2018年でさえ、頑なに自分のブログにRSSフィードを追加することは政治的主張だ。 その小さなミカンの泡は、一握りの企業によってますますコントロールされつつある中央集権的なウェブに対する反抗の切ないシンボルとなっている。

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YouTubeに「RSS フィードを使用してポッドキャストを配信する」という機能が。
support.google.com/youtube/ans

昔昔、テキストサイトが流行り始める前後の頃に「真夜中のタクシードライバー」というホームページがあった。タクシードライバーを名乗る方による、タクシーに乗ってきたお客さんにまつわるショートストーリーを載せているサイトで、雰囲気のあるお話がとても好きだったのだが、そこの掲示板に集まっていた方々と20年以上たった今も細く細く繋がっている。昨日久しぶりにお会いできて「10年に一度くらいお会いするペースですね」「昔から知っているのに何も知らない不思議な関係ですよね」などと話し合ったりした。私が各所で名前を変えてしまっている為いまだになんとお呼びすれば良いのか分からない、何をしている人なのかいまいち掴めないと言われる回だった。私もいまいち自分のことを掴みかねているので仕方ない。

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