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うすらぼんやりと、白江さんが書いているなろう系のコンテンツの評論は、これをああしてあれすれば、本の企画書にできるのではと思ったり。
(体調が悪すぎて、いま、ぜんぜんあたまが回ってない状態なりの感想

これ、大阪府に住んでるひとたちが純粋に損するだけでないのか(大阪府が外資などカジノ企業に違約金を請求できなくなるだけなので)

それは自民党、立憲民主問わず。
(党名に即すなら、ちゃんと立憲民主主義の主張をして、安易に二世三世や、財界から送り込まれただけの人物を国政でのさばらせないでほしい、と思うのだが。日本は閥族社会に戻ってしまうのだろうか、と懸念するばかりである)

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細かいことを省くと、リフレーション政策は格差の拡大に繋がりかねない政策なので、すでに長期に実施した日本でこの政策をとろうとするなら正統性がかなり必要である。

リフレーション政策を採用するか否かだけで党代表を選ぼうとするのは、さすがに視野が狭すぎる。

これはその通りで、ボルソナロが法務大臣に起用したのが、ルラの被選挙権を剥奪するのに一役買った検察官。

ただ、この検察官は、ボルソナロ親族の不正に気づいて政府内で揉め、結局辞任していく。

『虎に翼』もかくや、という展開がブラジルで起こっていた。

しかも、南米に共産主義が蔓延り同性愛を勧める教育がなされているという陰謀論を広めたのが、日系YouTuberと知ったり、いずこにも日本が陰謀論を輸出したのがこの四半世紀なのだと気づいて愕然とする。

From:
fedibird.com/@chaton14/1130614 [参照]

部外者が専門業者にマウントを取りに来る(ジャックする)ような業種(純文学や、その研究)になってしまうと、ろくなコトにならないから、ちゃんと評論の水準を上げるという営業努力を日本の映画関係者はしたとも言える。

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そういう作品そっちのけみたいな評論と、その評論をめぐる評論みたいな自意識の回廊みたいな文章は商品にならなくて、そういうのはよくもわるくもタダで書かれタダで読まれるネットでしか【読まずに済む】時代になってくれたのですよ。
(ちなみに、その書評を書いた人物が誰かを調べると、この10年ぐらいの映画評の状況を考えると、ちょっと驚くと思う)

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ようは蓮實重彦を下げに下げ、中野翠を持ち上げている書評になってしまっていたのだけれど、そのひとたちはもう中野翠の映画評に関心を持っていない状況なので、あの読者はどこに行ったのだ?という気もするのだ。
QT: fedibird.com/@ohmitakaharu/113
[参照]

大見崇晴  
まあ、映画評論は、むかしより今のほうが良いんじゃないのかなあ。 というのは、ほんの四半世紀ぐらい前までなら、中野翠が書いた映画評の本に対して、なんだか難しいことを書いている映画をろくに見れていない人間の本よりもとてもいい、という種類の書評がヌケヌケと書かれていた。それも出版社のPR誌に書かれた...

まあ、映画評論は、むかしより今のほうが良いんじゃないのかなあ。

というのは、ほんの四半世紀ぐらい前までなら、中野翠が書いた映画評の本に対して、なんだか難しいことを書いている映画をろくに見れていない人間の本よりもとてもいい、という種類の書評がヌケヌケと書かれていた。それも出版社のPR誌に書かれたぐらい。

もっとも、それであるならば「大衆」のための「大衆芸能」で「映画」はなくなったのか、と思うひともいると思う。

けれども、いまの社会の難しさはTwitterみたいなところで、いかにも昔であれば「一般大衆」ごのみの陰謀説が展開されて、イーロン・マスクがそういう陰謀説を展開するアカウントに施しを与えているという構造がむき出しになっていることのような気もする(想像されているような大衆なんて、本当にいるのだろうか)。

在野でも在朝でもいいので、参考文献を書いてくれるひとの文章は助かる。

そういう思いがあって、わたしの本は参考文献を多くしたのである。

最近はもう、「あれはあれこれで、こうでしたな」みたいな感想を書くのも、SNSにするのは億劫になっている。

山形浩生さんが最近なにをされてるか知らない(なんで、あんな泡沫的な政治の本や解説を書いてるのだろう?と不思議に思っていた)が、80年代に自分が憧れたものを貶しつづける芸風をやるには歳がいっているのでないか、とは思う。

しかし、東浩紀と山形浩生と小谷真理と宮崎哲弥と宮台真司が、それぞれに主義主張で相容れないところがそれぞれにあったことを、いまの若い人は理解できるのだろうか。

1979年の時点で50億円の負債を抱えて倒産した筑摩書房を再生させていくって、どんな縛りなんだ、という。

From:
fedibird.com/@ohmitakaharu/113 [参照]

それこそ、わたしらは岩波書店で実績も実力も人格も素晴らしかったけれど、いろいろあって筑摩書房の再生に尽力した布川角左衛門からの影響が、いまではより大きなものになっているのでは?と考えるなど、他の出版人が気になるというか。

From:
fedibird.com/@ohmitakaharu/113 [参照]

マツオカセイゴオさんについては、あれはあれでいいんでないか、(ヒッピー文化の)当事者でないと書けないこともあるし、というのと、思想なら中野幹隆冨岡勝、文学なら嶋中鵬二など他に気になる出版人のほうが借りや恨みがあるというか、なんというか。

ふと『オットーという名の日本人』を森於兎はどう思ったんだろうと、どうでもよいことを考えてしまった。

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