「哲学のノーベル賞」バーグルエン賞に柄谷行人さん アジア初:朝日新聞デジタル asahi.com/articles/ASQD85HQ5QD

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テイラー、ヌスバウム、米最高裁判事ギンズバーグ、シンガーなどなど教科書レベルの方々の名前と肩を並べちゃうのが柄谷さんマジですごいなあと思う。

柄谷さんの若い頃のなかまが、ノーベル経済学賞候補に挙げられていた青木昌彦というのは、ちょっと忘れられてしまっていて、さびしいかな。ちかくでみると、青木さんってすごいダンディだった。おしゃれだった。

なんで見かけたかというと、学生時代にローレンス・レッシグの講演に行った際に、青木昌彦さんは経済産業省経由の研究所で仕事をしていて、レッシグを歓待する側だったのだ。

わたしが柄谷さんがすごいな、と思うのは、いまさらに夢を諦めないところかなと思う。

というのも、本人が認めるように柄谷さんは小説が読めるひとだった。柄谷さんが褒めた作家は、だいたいが伸びた。あと彼は仕事とは言え、よく小説を読んだ。

御本人は、インタビューでぼくの前には平野謙がそういう仕事をしていたと語っていた。たしかにそうかな、と思う。『芸術と実人生』の平野探偵。

平野謙は何かを間違えてた気はするけれど、ちゃんと大江健三郎と倉橋由美子とか、いろんな若手を評論でひっぱりあげた。

同じような役割を平野謙から柄谷さんが引き継いでしまった。「しまった」というのは、本当は江藤淳がしっかり引き継ぐはずだったが、そうならなかったから。

平野謙から柄谷行人への引き継ぎというのは、武田泰淳の『富士』などの小説を読み解けない平野謙を諭すような役割を果たす評論を柄谷行人が書いたから。
おかげでわかったと平野謙が書いて、柄谷行人が引き継ぐ雰囲気ができた。

そうした状況に歯がゆかったのは江藤淳だと思う。
でも、柄谷行人は江藤淳をちゃんと評価していたので、批判するのもなんか変だ。
そこで江藤淳はやるせない思いを死んだ平野謙を批判するということで代償しようとして、『自由と禁忌』あたりから急に始めてしまう。
それが『昭和の文人』あたりまで続く江藤淳の不思議な左翼の中野重治に寄り添いながら、左翼を批判する不思議な評論である。

で、柄谷行人というひとが変なのは、文芸評論をあるときにスパッとやめて、江藤淳の教え子的な存在だった福田和也にきみに引き継ぐよ、と語って自分が気になっていたマルクスなどのことに全力を投じ出すのである。50代ぐらいから。

そうしたらオードリー・タンに影響を与えて、あれこれあったあとに、こういう世界的な賞を受賞したので、すごいものである。

とはいえ、柄谷さんがNAMという運動をしていたころに、振り回されたひとたちの悲鳴をきいてはいるので、わたしにはちょっとほろ苦い固有名詞である。
(これが荻上チキさんの世代だと、そこまで、ほろにがじゃないそうなのだけれど)

わたし自身は、理系の人が柄谷さんに憧れるのはなんでなんだろう?と思うのだけれど、日本文学なんて知ったこっちゃないみたいな学生時代の友人(いまは技術評論社で連載を持っている)が、柄谷行人の夏目漱石論はクリアーなんだね驚いたと語っていたのが印象的である。

文系の理系なのか、理系の文系なのかわからないけれど、柄谷行人さんにはそういう「科学と抒情」(赤瀬川原平)な魅力がある。

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