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エッシャーの作品ってどうしても構造や錯視のほうに目が行くんですが、それをひとつの絵画として昇華させているのはあらゆるオブジェクトの形態に対する正確な理解と、それを表現しうる超絶的な技巧なんですよね。立体物を平面に落とし込むためにはどのように表現すればよいのか、その形状の理解と細部の取捨選択が卓越しているからこそ、なにかが別のものにメタモルフォーゼする瞬間を写し取ることができるんですよね。

エッシャー展、途中から泣きそうになりながら観ました。圧倒的です。

全然ねむれんうちに朝になっていました。

明日はエッシャー展を見に行く予定です。

SNSでの言葉遣いを慎重にしなくてはいけないの大変だとは思うんですが、言葉に対する認識の精度がたかまるのはいいことだと思うんですよね。仕事の文章を書くにあたっても注意深く適切な言葉選びができるようになってきた自覚があります。

日本語が読めない瞬間が生じてやばみを感じました。

人気のアニメの原作を読みたいと思っても「これは単に今の事象に流されすぎているだけなのでは?」と自問してしまって手が出にくい気持ちになっています。攻殻をまとめて読もうと思っているのですが(1巻は昔読んだ)

現代アートはうざがられるのに藝大の卒展はわりと持て囃されてるの何なんですかね。キャプションがあればいいのかなあ、結局わかりやすさなんですかね?

作中の描写を「作者の趣味」「癖」としか捉えない認識の行き着く先が「作品を守るための作者の主張を『わがまま』だと貶す」なのではないかと思ってしまって勝手に辛くなっています。

物語を楽しむこと自体ほんとはどこか歪な性向だと思っているんですよね。人間はだいたいそうですが。

また宅配ボックスがトラブっておりげんなりしています。(番号があっているのに開かない)

やることがおおいと失敗がふえてたいへんです。

扇智史 さんがブースト

異なる世代の作家を互いに会話させると、同じような主題に対して彼らが多様な反応を示してきたことが明らかになります。女性作家たちは、性別による期待に同調することへのプレッシャー、家族の責任と個人の利益の間の緊張、自己肯定の探求など、共通の悩みを抱えていたかもしれないが、それぞれの作家は独自のアプローチを発明している。読者の皆さんもおわかりのように、回想録や自伝に目を向ける作家もいれば、素晴らしい架空の世界を想像することを好む作家もいます。日本、中国、ヨーロッパの古典文学に取り組み、テクスト間の豊かな暗示を作品に注ぎ込む人もいます。他の作家は植民地主義、軍国主義、ナショナリズム、工業化に取り組んでいます。このハンドブックは、読者が日本の女性の文章について独自に調査を開始するよう促す基盤を構築します。

倉橋由美子のアンソロジーの仕事をしている時も思ったこけど、こういう日本の女性作家の総合的な批評がもっとあってほしいな。じゃないと〝いなかったこと〟になってしまうかもしれない。

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扇智史 さんがブースト

ちなみに1/12に発売となっている三木三奈『アイスネルワイゼン』は入荷せず、問屋に問い合わせたら「なぜか今日になって搬入されてきた」とのことでした。どういうことかというと、版元・文藝春秋は「芥川賞の発表を待って問屋に搬入した」ということで、より具体的に説明すると、仮に芥川賞を受賞していたら本屋lighthouseが契約できるような小さめの問屋には少なめに搬入し、大手の問屋(ネット書店への直搬入含む)にガッツリ搬入するつもりだった=受賞しなかったから本屋lighthouseおよび問屋にも発注数通り入荷した、ということが推測できるわけです。まじでくだらん。

From:
fedibird.com/@gucchi_penguin/1 [参照]

宅配ボックスのトラブルが増えてきていますね(番号が伝票に書いてなかったり間違っていたりする)

扇智史 さんがブースト

YouTubeのコピー「好きなことで、生きていく」にしてもそうだったけど、巨大企業の理屈と個人の「好き」や内的成長は基本的に矛盾するなんてことはもちろん誰もが知っているにも関わらず、その上でしかしその成立に希望を託したがる心性が、割と広大に共有され続けている感がある(ぼくも成長物語、大好きだし)。資本主義や情報技術が自然化・自明化してしまっている状態。

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