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官房長官会見で記者会見について、該当は7分前後から。通信2社はさすがに反応。記者会はあんな舐めた通告出させちゃダメでしょ
kantei.go.jp/jp/tyoukanpress/2

首相会見で質問できなかった社への書面回答取りやめは、正当化できる理由が思いつかない。理解できないのは、全国紙やNHKではそれについて問題と指摘する記事が今のところ見当たらないこと。常勤は椅子があるからピンと来ないのか。内閣記者会は自分たちの力を削ぐ動きにもっと即座に明確に抵抗しなきゃ。このケースは大人の戦い方とかそういうの全く必要ないはず

進学で地方から上京して、周りは境遇の似た公立高の出が多かった。都内進学校出身者はポツポツいたけどマイノリティで、後期で仕方なく入った人もいたりして、田舎もんばっかの中でなんだか窮屈そうにみえた。お互いに育ちが違うと感じてたな。できたばっかの小さなキャンパスは顔が見える規模で、慣れてしまえば居心地は悪くなかった

陰謀論に一定の支持が集まってしまうような不安が覆う社会の中で、一部が求めた都市封鎖をしなかったことについては積極的な評価をしたいと思う

大きなコストがはっきり示された上で選び取ったのかといえば疑わしいし、モラルに依存した自粛は本当に息が詰まった。大きな代償を支払って、それでもこの社会は私権制限を拒んだ

国内で感染が広がっていった時、収束に数年はかかるんだろうなあとなんとなく思ったが、痛みと我慢を強いる、こういう3年と4月になるとは自分の頭では想像できなかった。日常のようなものは帰ってきたけれどコロナ前とは確実に違うなぁ…。閉所での人のくしゃみや咳に心がざわついた、あの感覚。なによりまだ収束してないし…

3年4ヶ月を振り返る系の紙面、見た範囲では5月1日付の読売特集面がVisualだったな。感染者数の折線グラフを15段見開きでやってて、7波、8波の破壊的な人数とか、波の中での増減が鋸の葉みたいに起きてるのとか、わかりやすかった。あれは紙ならでは

仕事より家のことに重きを置く一年になりそうなってる

これも長周新聞。ちなみに記事中には原発のゲの字もない

突然20㎝ずれた上関大橋 通行止めで島民の暮らし一変 原発できれば逃げ場ない現実 chosyu-journal.jp/yamaguchi/19

長周新聞の地元補選総括。いろいろ言われている媒体ではあるけれども、同じローカル報道の末席として、こちらも負けてられないと思うところはいくつもあった

勝って負け、負けて勝った? 衆院山口2、4区補選が示したこと 県内政界揺さぶる結果に 本紙記者座談会 | 長周新聞 chosyu-journal.jp/yamaguchi/26

「話せばわかる」のは間違いない。どうやって双方がテーブルにつくか、そしてやり取りするか…

"She was sixteen, and beautiful in an immediate yet perfectly slow way."
サリンジャーのA Girl I Knewを和訳で読んでいたんだけど、これを(彼女は)「十六歳で、ひと目で美人だと思うが、そのうち本当に美人だと納得させられる、そんな美人だった。」とした金原瑞人好き

学校や街頭でニーハオって言われて、最初は「中国人じゃねーよ」って言い返していたのも、違うなこれと思って次第にやめた。当時の記憶が蘇ってきたな。東アジアへの仲間意識とか連帯感が自分の中で育まれた時期。歴史を学ぶ前にまずこれがベースになった

イタリアでニーハオがトレンド入りしたという話。あれがいけない行為だと言える世の中になったんだなと感慨深く接した。見知らぬ大人にすれ違いざまにいきなりalmond-shaped eyeのジェスチャーされたのめちゃくちゃびっくりしたし悲しかったもんな

手痛いミスが紙面化されてしまう夢を見るのは編集者あるあるのひとつ。それがないのを密かに誇らしく思っていたけど、けさついに見てしまった。これは疲れてんな…

総合人間学部の「休学を考えるにあたって」を読んだ。4項目あって、「あと一つお伝えしたいことがあります」ではじまる4番目だけで他の3つを合わせたより長く書かれている。本物でないことを願いたい内容

灘中・高って意外に進学実績にこだわりあるのかな。26歳市長、東大4か月でやめたのは最初からそのつもりだろうし

大河、あまりにも情けない家康と神君の間をどう描いていくのか、なんやかんや離脱せず見続けちゃっている。しかし、83年家康のwikiの「原作が大作であり、数多くのエピソードが盛り込まれており、ドラマ展開がスピーディー過ぎてひとつひとつのエピソードが希薄な印象になりがちであった」と比べると、むしろメリハリは効きまくっているのか。83年の方も時間あれば見てみたくなった

徳川家康 (NHK大河ドラマ)1983年のNHK大河ドラマ第21作 w.wiki/6cwL

再生開始1分、なんやかんやがありましたが…でどう描くのか楽しみにしていた金ヶ崎がナレ終してしまった選挙翌日、さあ仕事だ…

「息の根を止める」って考えてみればすごい言い回しだな。根を動くものとして「止める」で受けるところに、前のめりの強烈な意志を感じる。「断つ」とかよりかえって主体的。体のどこかをイメージしていたのだろうか。首?胸?

それともうひとつ、震災の時に自分たちの新聞が地域に切実に読まれた経験は、あの会社とその記者たちをずっと突き動かし続けると思う

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