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Noratetsu Lab: 話題管理サービスとしての掲示板 noratetsu.blogspot.com/2023/04

掲示板の話の本題。

「またか」という怒りが常に不当なわけでもないので、その種の怒りは必ず抑えなくてはならないという話ではない。その怒りを向けるべき相手ではないのに誤読が発生するとまずいというだけで。
そもそも「またか」的なことが発生し得ないテキストとの格闘にはあまり関係ない話だろう。

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「わからないままでいる」ということに耐えるための力は鍛錬によって向上するが、「またこれかよクソったれ」という怒りはそれとはあまり関係ない。十分に知的体力があるはずのひとでも「またか」が発動すればもう解釈はショートカットされてしまう。その場合に必要なのは知的筋トレではなく自己対話ということになるだろう。

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自分の知見にすぐ結びつけてしまう、ということからの解放が必要だとして、その「結びつけてしまう」の部分が単に「あれのことか!」という気づきの喜びのせいなのか、自分の人生上の復讐心があってのことなのか、で対処法は全く変わってくるのだろう。

なんにせよ、100%できるとは思えなくても頑張り続ける、ということが必要だ(月並みな感想)。

(この「見方」というのは今回登場したというのではなく一般的に存在する(そして私も賛同している)ので持ってきただけで、「いやそもそも自分の解釈を脇に置けるわけねーじゃん」というペシミスティックな切り捨てによって話を折られないための防壁を築いただけのあれです。)

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あと、そもそも誰だって結局は自分の解釈で認識してるだろ、真の客観性なんてない、すべては偏見だ、という見方も正しいと思うけど、そうであるにしてもこの社会では「自分の解釈を伸縮させられる度合い」はある程度以上に高めることを求められていて、「伸縮したところで偏見だ」というそもそも論は「自分の解釈が固定的であっては読み間違う」という現実を無視していい根拠にはならない。話の層が違う。

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でも、「自分の解釈でしか認識できない」というパターンなら努力でなんとかなるはずだ、と言っていいのかどうかはわからない。

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○○な人は~だろう的な語りは本当になんというか駄目なんだけど(苦悶)、「文字通りにしか認識できないことで『空気読めない』と言われて苦労している人」のことを思うと「いやそれは違うでしょ」という気持ちがつい高まってしまう。

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某ツイートに関して。

多分「空気読めない」には「文字通りにしか認識できない」と「自分の解釈でしか認識できない」とあるのだが、「空気読めない」イコール「文字通りにしか認識できない」ということだという理解が一般的に強いせいで、単に「自分の解釈でしか認識できない」人が「空気読めない」と言われた時に「自分は文字通りに認識してしまっている」と誤解しているのでは、と思った。
その場合、結局「文字通り」には読めてないけど、「自分の解釈」とは「文字通りに読んだ結果」だと信じているのかもしれない。

テキストをテキストとして読むというのは、「自分の解釈」を我慢して脇に置くということであって(と私は理解していて)、「自分の解釈でしか認識できない」型の「空気読めない」人はテキストをテキストとして読むことも困難だろうと感じる。

Truthとか胡散臭いにも程がある命名だこと。

イーロン・マスクの言いたいことというのは「俺が開発進めて最先端に躍り出るまでお前らはみんな止まっとけよな」という話だったんだろうか。

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自分的にめっちゃいいこと思いついた。

はっきり文脈を提示されてないならその文脈に乗る義務もないという気はするけど。

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後から「ああ、あれ文脈をわからないで喋っちゃってたな」と気づくことがある。ちょっと悲しい。

己の推進力のベクトルに逆行するのは辛いという感じですかね。

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別の組み立てで作り直さなきゃいけない、となった時が飽き時。

開いているmdファイルのフロントマターの内容を取得してサイドパネルにツリー状にして表示、までできた。コマンドをつけるところまでやりたい。

書きたい文章があるけどVSCode拡張機能開発が面白くてそれどころではない。(どう考えても文章を優先すべき)

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