自分の知見にすぐ結びつけてしまう、ということからの解放が必要だとして、その「結びつけてしまう」の部分が単に「あれのことか!」という気づきの喜びのせいなのか、自分の人生上の復讐心があってのことなのか、で対処法は全く変わってくるのだろう。

「わからないままでいる」ということに耐えるための力は鍛錬によって向上するが、「またこれかよクソったれ」という怒りはそれとはあまり関係ない。十分に知的体力があるはずのひとでも「またか」が発動すればもう解釈はショートカットされてしまう。その場合に必要なのは知的筋トレではなく自己対話ということになるだろう。

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「またか」という怒りが常に不当なわけでもないので、その種の怒りは必ず抑えなくてはならないという話ではない。その怒りを向けるべき相手ではないのに誤読が発生するとまずいというだけで。
そもそも「またか」的なことが発生し得ないテキストとの格闘にはあまり関係ない話だろう。

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