最近、いろんな本を読みながら、「どの程度の予備知識があれば、この本を読める・楽しめるか」ということを考える。予備知識というか、基礎学力というか。
新書レベルでも学術系だと、どうしても、高校社会・理科レベルの知識は、要求されることが多い。「その都度」補うこともできなくはないが、やっぱりある程度まとめて勉強しとかないとしんどいよね。憲法とか歴史とかの話は。先日、学生が日本国憲法第9条の内容を答えられなくて(4、5人当てて全員ダメ)、ちょっと驚いた。答えられない子がいるのは慣れてるが、誰も答えられない、というのはかなり深刻。歴史となるとさらに危うい。
そもそも音読できる漢字の範囲も、読める人は気にしないけど、読めない人にはハードル高いよね。ふりがな振ってくれてるのも結構あるんだけど、学生見てるとかなり心許ない。
言葉の意味を聞いて答えられないことも多い。これはまったく知らないということもあるけど、なんとなくわかるけど言語化できない、なパターンがすごく多くて、いずれにせよしんどい。
高校レベルの教養って、ものすごく世界を広げてくれてるんだよね。そこんとこ気づいてほしいが。
よく分かるのだが、違うというつもりもないのだが、半分行って無い状況・結果を「県民を煽動した」と言ってしまう事に判然としない感覚がある。
世の中全体の価値判断の軸が狂っていき、「正気」がなんなのかがわからなくなる状況は、非常に恐ろしい状態だですが、どうにもならない時というのはあるものなので、そういう時には息を繋ぐことだけを優先して、とにかく潰されないように身を低くし身を潜めて黙って匍匐前進し続けるというのが、最良の生存術ではないかと思います。
福島界隈では、2017年から2020年くらいにかけては、軸が完全に狂ってしまい、その時に気づいたのは、価値判断の軸が狂ってしまうと、本人たちは自分が正気でない、ということにも気づかない、ということでした。
今は相対化されて、少し戻りましたが、その後遺症で部分的に歪な状態のところは残っていますし、振り切れたところは軌道修正が効かないまま、異次元世界が展開されているところもあります。
でも、自分が正気を失っていた人は、いまでも自分はずっと正気だ、と思っている人が大半だと思います。
地軸そのものがずれると、人間は気づけないのだと思います。
その頃に、これはなにをいっても通じないし、どうやっても勝ち目がないなと思って、とにかく潰されないこと、だけを目標に続ける術を学びました。
あきらかにやっていることがおかしく、正気の沙汰ではないのですが、本人たちはまったく邪気がなく、それをおかしいと異論を挟む人もおらず、誰もがすばらしいと褒め称える(馴染めない人は黙って去っていく)、その状態に異論を唱えると、何をいっているのこの人?扱いをされる、という経験をすると、なるほど、アーレントの描いていた全体主義が生まれた時期の価値観の転倒とは、こういうことか、そして、これはごく普通に起こるのだな、と思いました。
価値観の転倒は、まず、論理を無力化することから起きて、たぶん、アメリカをはじめ、今の日本で起きはじめているのも同じことなので、アーレントの『全体主義の起源』の当該箇所は再読した方がいいのではないかと思います。
戦後機能してきた「健全な民主主義」の思考の枠組みで捉えようとしても、いま起きている現象を捉えきれないように思います。
#森入江展
昨日、「森薫と入江亜季展」を見に行ってきたけれど、本当にとても良かった…
創作をする方々は、完成原稿だけでなく、ブロットやコンテなどマンガの制作風景なども見られるので、是非ともオススメ!
あと、マーケットの一環として明日までは無料で見られるそうなので、興味のある方は見に行ってもいいかも?
土曜日なので、#caturday で検索かけて、幸せになってる。
神田古本祭りは人が多過ぎて(国書の待機列対策遅過ぎる)普通に買えない状態なのでもう十何年も行ってない
この丸善本店のイベントいい感じに緩そう
ちょっと行ってみたい
おかげさまで20周年 丸の内オアゾ 20TH ANNIVERSARY | スペシャルイベント『丸の内 BOOKCON 2024』
https://www.marunouchi.com/lp/oazo20th/bookcon2024/
■猫と本と映画と家族を愛する、インドア派。
■美味しい本情報と、ステキな猫情報には、まさに「猫まっしぐら」状態なキラキラお目々で飛びつきます。(笑)
■ちなみに、「あんな」と読みます。 そして、インテでもあります。