前、マストドンで書いたことをTwitterにも書きました。まじで面倒で関わりたくないですが、たまには触れないと相手の主張だけになってしまうので、多分それも良くない

x.com/nishikawaksn17/status/18

料理、分量と手順が概ね合ってたらちゃんと結果が出るので、俺も割りと好き。
俳句は最近できない

自分で作ったものを「美味い!美味い!」と食べられるのは幸せだね……。料理は創作的な達成感があるから、割と好き……。私のために、私が作る。基本はこれ。

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旧Twitter的独り言(最近重用しつつある)

この回で陰謀論を信じやすい人の特徴について話していて、割と納得した。
アメリカでは論文にしてもまず結論から出すことを良しとするけど、そうすると結論ありきなので、その後の説明が多少破綻していても信じてしまうみたいな話(見返してないのでうろ覚え)
順を追って説明するのを好む人は、結論は自分で考えたい人なので陰謀論にはハマりにくいと。
さっきのドラマの話もまあわかるけど、アメリカで陰謀論が流行りやすいのはそこもあるのかも?
youtube.com/watch?v=HmClYAes14

私は子どもの時に、父と母が「お前を絶対に軍隊のある国の子供にはさせない。戦争をする国の子にはしない。」って言ってくれたのをずっと覚えてる。両親はずっと反戦を掲げてきた。外国人差別にも、部落差別にも声を挙げてきた。PTAや私の部活の保護者同士の会食でも「寝た子を起こすな」と人権教育に差別の話題を持ち込むことに反対する他の親に対してもきっぱりと「そんなことはない」と話をしてきた。丁寧に対話をしてきた。私はそれをずっと見てきた。

父には選挙権がない。今は両親とも立派な高齢者。
私や私のように選挙権があって、自分で外に出て行って誰かと話す元気がある人間が諦めたら、抗うことをやめたら、社会的に弱い人たちから順番にその割を食う。
だから絶対にやめないぞ。自分の力が弱いのを知っていても、決して安易に人間同士を分断するような言説にのっかったり、他人を「あちら側の人間」として自分と違う生き物のように扱うことは絶対にしないぞ。
たまに絶望するけど、何度だって生き返るぞ。

誰かが絶望して起き上がれない時に私が、私が絶望して起き上がれない時には誰かが立っていてほしい。私はそれを連帯だと思ってる。

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資本主義に殺されながら「おのれ共産主義め!!」なんだからほんと有り難い存在だろうよ ( ⚭ᴥ⚭ )

この政見放送めっちゃいいなー。社民党の小選挙区(大阪9区)の候補の方

【第50回 衆議院選挙】ながさき由美子(大阪9区)政見放送 youtube.com/watch?si=1IPc2nYrX

石田郷子ライン懐かしいですね。詳しい内容はあまりはっきり思い出せないですが、界隈がしばらくざわついたのを覚えてます。
石田郷子も昭和三十年世代ではあるんですね。俳句のためにフラットにエッセンスだけを無批判に享受する手法……(俳句の手法、スタンスとしてはそれはそれで別にどうぞというところです)

子規の俳句革新運動と同じように、これまでとこれからを隔絶し、片方を月並みと呼ぶなど、古臭いものと決めつけるようなやり方を伴わないと、広がることはないと思います。もしかしたら青木さんは文芸年鑑の論中でそれをやろうとしたのかな……?と少し感じています。しかし、循環参照性俳句自体は、写生よりもずっと敷居が高いので、広がりという面では弱いと思ってます。

復帰したものの現実が現実的でなさすぎてすぐに目を背けてしまいそう、そしてそのことにまたへこみそう

ありがとうございます。問題提起として残り行数とにらめっこしてキャッチーな方に寄せました。私自身は参照性にはなるほどと思うものの、新しい基準には肯定的ではないものの、しかし、それも俳句の型式は受け入れているんだな……って感じです

折れてました。折れてしまえることを自分で詰ってて、詰るべきではあるが、それでいいことは一つもなかった。
外出。岡田一実『醒睡』 を傍らに。絶不調中で全然句ができないが、どうにかする。
ガザを詠めない。

書いたということは、気持ちの墓碑みたいなもので、自分の場合、ある程度割り切らないといけないと分かっているということで、やる。

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諸々の虐殺、理不尽、不正義、不寛容、無知、排外主義に耐えられなくなり、ツイッターを開かなくなりましたが、しかし、開かないで目を背けることも、見てるのと同じくらいつらいね。「それができる」ことに責められてる気持ちになるし、それは責められて然るべきものなので、避けられない。その中でせめてそれらに直接連なる句が書ければ多少は慰みにもなりますが、できるのは木犀がどうだとか月光の精算機だとか、遠い遠い遠いものばかりで、とても現実的ではない(というか拠って立つ世界がとても現実に思えないので客観写生句のようなものが浮いて見えてしまう。俳句は悪くない)。俳句は不自由な詩型で、その不自由さこそ自由を得る足がかりになると思ってるけど、僅か9000キロ先の虐殺を無視して、それをやることを自分の俳句に許すのか。しかし無視をせず向き合ったとしても、足る句ができるわけではない。
書き出してみると、そういうことに悩んでいる。

ツイッターはしばらくおやすみです。耐毒性低下してるし優先順位高いやつがまだできてないし。

市場を見ていると高市早苗要望論が盛ん。立憲では野田佳彦。
なんか、本当に、マジ、うんざりなんだよね……。

「女性なら、高市早苗を!」みたいな話もうんざり。ウィークネスフォビアで、男性中心主義を極度に内面化した女性を選んだところで、男尊女卑は改善しない(東京がそう)。
「小さい政府」を標榜しながら、「国家総動員法」下のような自由の制限に入ることは目に見えている……。

もうね、資本主義にうんざりなんだよ。この世、「プチ資本家」みたいな人がマジョリティーですよね(それが、自民党に投票する理由でしょう)しんどい……。

本日発売の角川「俳句」10月号に、「熊の出る話」12句を寄稿しています。よろしくお願いします。kadokawa-zaidan.or.jp/haiku/

俳句 

私もそう思いつつ、自分も二十代前半はそんな感じだったかもなぁ…と思いつつ見てます(。>﹏<。)

俳句 

藤田湘子もたしか愚昧論ノートで似たようなこと言ってました

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