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今日は調子悪いな

本当はこれ以上トゥートしたくないけど、それでもこれだけは言いたいって素朴な感情論だけ書いとくか

俺は誰かを”勇気づけたい”し”励ましたい”んだよな

俺自身誰かを見てすごく勇気づけられてきたし励まされてきたから

なんとかしてこの人間という没落しつつある種の打開策や希望、存在価値みたいなものを見つけたいな



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なんで「偏見の解像度」なんてぶっそうな言葉を使ったのかと言うと、「差別をなくすための方法」は”違い”から目を背けることではなく、むしろ徹底的に”差異”や”変化”に対して敏感になることであるからなんじゃねえの?

なんでかって言うと、例えば「白人と黒人のIQの差よりも白人の中や黒人の中でのIQの差の方が大きい」なんて話もあるし、IQが重要かは置いといて、より重要な着眼点に対してそんなに相関係数が高くない全然違う共通点に基づいて他者を識別することが差別とか偏見に繋がるってことやん?

だから個性、要は人と人の差異、あるいは今のその人と過去のその人の変化、それら違いを注視することが平和な社会に繋がる気がした

犯罪者が常に悪人であり続けるわけでもないし厚生することもあればその逆もあるわけだしねねね

ちゃんと厳密に認識し区別していくっていうことを心掛けたい

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そういや、今更もう批判する気もないけど の付属語を省略する傾向みたいのも前にも書いた通り「中途半端な中間概念」みたいなのを省略しようっていう傾向なんじゃないかと思っていてそこが俺が引っかかるというかどうも好きになれない部分の正体なんだと前々から思っている

膠着語とか孤立語ってのがここと関連している可能性があるのでここら辺もっと調べてみたい



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//返信先への注釈

すまん『 #次代精神 』は抜いてくれ
こんなもんは次代精神と呼んじゃいけないと思う
今の現代人の”悩み”そのものだから
そこに解決策を示せない限り『 #次代精神 』とは呼べない

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正直大した内容じゃないけどね
このダンバー数がどうのっていう今日の一連の連トゥーは

ただなんとなく思いついたのでメモってみた

社会の狭さというのは人間の認知能力や”厳密な認識”に対する努力によって制限されているし、またそれによって解決可能なんじゃないかっていう文脈で考えたことを一応メモっといたわ

「偏見の解像度」を上げていくことによって”本物のせかい”を知ることができる

なんてことも思いついた

「偏見の解像度」を上げていくことによって”本物のせかい”に触れることができる

でもよかったんだけど物理学的には人間の皮膚や神経が実際に外部の対象に触れることはできないっぽいので”知る”に変えた

あと「微分」という表現でもよかったんだけど使い慣れていないし未だによく理解していない言葉なので使うのはやめた

けど音や光の波の”角度”にも個性があるのでそこら辺を厳密に、つまりデジタルな数値ではなくはっきりと”観測”できるようになっていったらこのせかいはもっと広がるのかもしれない


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//注釈トゥートね

既にこんな感じのことは色んな場所で耳にするので『 #起源主張用 』はつけずに代わりに『 #時代精神 』 をつけた

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「ダンバー数」という言葉を差別的な響きとかもあるので異なる表現がいいのかもしれない

「”波”への視力を高める」でも良いかも

なんで”波”やねんって思うかもしれないけど、結局俺が指摘してきた人間社会の物理的な狭さってマクロな意味での土地の狭さとかではなく、 に関する話でしょ?

要は「名前」と「デザイン」が限られているので自ずと世の中で使える名前やデザインもブランド力での奪い合いの争奪戦の対象となって人々が自由に使える名前やデザインがなくなっていって土地やお金のような希少性を帯び始めるというのが の一種の公理だった //既に宣言済みだったっけ?

これに対して外部デバイスを使ってこれまで見えなかった周波数帯域を可視化させたり、超音波とされていたものを可聴化させていくっていう文明の方向性というか拡張性(そこはある種の認知上の「新大陸」にもなるかもしれない)だと思っていたんだけど、人間がより厳密にこの周波数の差異を認識できるようになればそれも1つの解決策になるのではないのかと思う

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『個性のダンバー数』とかいう概念を思いついた

個性のダンバー数とその限界、俺はその外側を見たい
あるいは内側、それらの狭間…

今は、農業革命、産業革命に続く「第三の波」、いわゆる”情報革命”の最中にあると思うんだけど、こういったデジタルの波っていうのは人々の生活や社会を変えただけではなくて、”認識”も変えた、あるいは”認識”のその限界を表面化させたと思うんだよね

例えば今スマホとかパソコンとかで出回っている”ノイマン型コンピュータ”ってのは、電子回路上で電流を流したり弱めたり?(あるいは流さなかったり?)して、それを0と1の2つの記号を使って情報として表現しているみたいなんだけど、それって実際には厳密には、つまりアナログ的に考えたら0と1じゃないのよ
1とされている状態、つまり電流が流れてる状態でもそのアンペア数みたいのは違うだろうし、0とされている状態でもそのアンペア数は違うはず
要はデジタルってのは「中途半端なもんを無視して雑にカテゴリ化していきます」っていう姿勢なのよね
(添付画像はこの「個性のダンバー数」のイメージ画像)

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これは独我論ともまたちょっと違って「でっかい(停止した、あるいは停止していない可能性もある)機械を俺がポチポチボタンを押して動かしている」みたいな感覚やね

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このAIとのジャンケン戦争を戦っていると「せかいが本質で自分はその現象」ではなく「自分こそが本質でせかいはその現象」なんじゃないかっていう観念を強く経験的に実感することになるね

「せかい」とまで広げられるかは分からないけど、少なくともこの俺が戦ったAIは現象感がすごかった

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とりあえず、次回は「こいつは”癖を読みにくる”という癖を持ってるんやな」とシリコン野郎の癖を読んだ上で、ひたすら自分の手だけに集中して”変化し続ける”ということを意識しようと思う
過去の自分の手、一分前の自分ならこうしてただろうなっていうのを相手の手を無視してあえてかなり単純化させて考えてそれを巧妙に外していくっていうパターンでいこうと思う(例えばちょっと前までは「”一個前の自分の手”に”勝つ手”を選んでいたので今度はあえて”負ける手”を選ぼうかな?それとも”同じ手”を選ぼうかな?」みたいに考えてく戦術)


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「自ら背負った積荷を下す」って状態がかなり精神衛生上良いなって分かった

mstdn.jp/@nankaitouketsusarend
mstdn.jp/@nankaitouketsusarend
9月21日の↑辺りで書いた「習慣を作っても未来の自分に対して命令をしてはいけない」って内容がそのままおよそ一か月越しの俺にも響いてるっていう感じ

10月22日でも、
fedibird.com/@newshockuchiVrNh
↑辺りで「マストドンを忘れて生活する」「タスクや目標、KPIを意識することがワーキングメモリを圧迫するのでそれを意識しないようにする」みたいなトゥートをしたのやけど、ここら辺の概念を みたいな感じで上手くハッシュタグにして自分の中でまとめたいな

[参照]

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