ウェブサイト制作時の alt の入れ方、具体例がたくさん載っててわかりやすい。
「こういうふうにつけてほしい」って伝えたい時に使いたい。
『魔女狩りのヨーロッパ史』によると、魔女狩りの原因のひとつは、もともと民衆のあいだでも普遍的だった呪術を時代遅れなものとして忌避する意識が(社会情勢や天候不順などが呪術のせいとみなされることもあって)キリスト教社会で生まれたことにある、というようなことが書いてあったんですけど、これはキリスト教社会が自らを理性的な新しい宗教として認識し、対して呪術をそうではない旧宗教として位置付けた、とするならば宗教どうしの対立と捉えてしまうかもしれないけども、現代ではこれが「無宗教=理性的」「宗教=危険」という対立軸になっているだけで、やっていること自体は魔女狩りと同じなのではないか、と思います。
もちろん魔女狩りの原因は複層的だし、私の読解が間違えてるところもあるだろうけど、とにかく「無宗教=理性的」「宗教=危険」という認識だけはすぐにやめるべきですね。
マイノリティはそもそも信用してもらえないことが多いし興味も持ってもらえない。
昔「神道」とLGBT「Q」+でヤマトQだと思い込まれたこともある(冗談のように語られたけれど、その間違いが起こり得る、それをマジョリティの申告がなければこちらから訂正できないと知ったことは結構恐怖だった)。
話を聞いてもらえても信用度はマジョリティのせいぜい2掛けと思うし、少しの間違いでも糾弾される。
その状態で敬語をやめる、怒った態度を外に出す、「大卒と同程度の教養を身に付けています」と示せない文体を使う、みたいなのは本当にもう即座に反感に繋がり暴言が飛んでくるので、マイノリティ要素が多い者ほど危険度が跳ね上がるんだよな…と思う(この現状を打破するためにはそういう周知は必要だろうけれど)
BT
間違えるな(文法とか漢字含めて)、正しくあれ、と言うプレッシャーはすごく感じる。(間違うけど)
信用されなければ話すら聞いてもらえない。一度間違えばすぐに信用を失い、多くの場合その「間違い」のジャッジもマジョリティがする。
疲弊する日が来たら発信をやめる気なのでそこまでピリピリする事はないけど、ウチナーンチュからも論旨からズレた批判や民族差別に対する中傷を受ける事は多い。LGBQ +からは民族差別そのものを無視され、ネットもリアルでも絶望しか感じない。
何よりも同胞からの攻撃が辛い。
マイノリティのコミュニティは時に頼もしく時に残酷である。沖縄も、LGBTQ +も、何を言っているのかには1ミリも耳を貸さない。具体的に内容を批判する以外のバッシングは単にマジョリティ側の「気に入らないから黙れ」だよ。
仲間はいた方がいいだろうけど、マジョリティリーダーのジャッジで「かわいそう」な人を擁護する仲間ならいらない。「仲間好き」は悪気なく仲間外れを作るのだから。
わたしの誕生日である4月10日には、思い入れがある。
1946年4月10日、最後の帝国議会選挙で、日本の女性が初めて女性参政権が認められ、投票に参加した日。
それ以前、日本の政治の選挙するのは、男性のみだった。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E6%80%A7%E5%8F%82%E6%94%BF%E6%A8%A9
大体、現在の情勢で日本が戦争できるようになんてしたら、アメリカの手駒として捨て石にされるのなんか分かりきってる。
そしてその"国民"の中で真っ先に犠牲になるのは沖縄など、ヤマト民族以外の者なんだろう。全くもってクソだ。
それに既に色々な方が危惧してきているけれど、これだけ国内の貧困を放置するのも、経済的徴兵をやりやすくする為なんだろうという日本政府への警戒もより色濃くなってくる。要するに「いざという時、兵士になれば飯を食っていける」状況に市民を置いておきたいんだろう。
少子化対策(※)を躍起になってやるのも、兵士になる頭数を確保しておきたいんだろう。
※市民は頭数を増やす為の道具ではないし、出生数を上げるための施策としても的はずれな施策ばかりしている。
増税ばかりするのも戦争のための準備だろう。これも経済の仕組みへの理解が的はずれなために、むしろ自ら経済制裁を行っているような状況にして国内の経済を疲弊させて、ひいては国力を弱体化させている。
宗教差別にあたると思われる箇所の引用を含みます
「人としてあるべき状態にないのだから治療すべき」みたいにジャッジできる立場にいると考えていること自体がまず相手を下に見ていますよね。
理想的な〈仮想敵〉としての宗教像を作り上げて「悪」と見なすのもやはり宗教に対する差別ですし、組織に属する形での信仰を望むひとびとの存在を無視して(もしくは一方的に誤ったものとして扱って)います。
「会社」をなくすと社会に混乱が生じるが、「宗教団体」は解体しても社会生活に影響がない、という発想も、そもそも宗教を軽視しているからこその考えではないでしょうか。
「宗教差別だろうがこの思想は変えない」ということであれば、私も「なるほど、差別を容認するひとなのだな」と理解しますが、「これは宗教差別ではない」と言うのであれば「それは宗教差別だと思いますよ」ともう一度念押しいたします。
組織化における問題点はたしかにあると思います。権威が作られて硬直化し、個々人の自由が制限される危険性があるシステムであるのは同意します。
ただ、そこから殊更に「宗教団体」を標的にして「特にダメ」と言うその言い方には、やはり宗教差別があると思います。
私は「宗教差別」をやめてほしいと言っています。
『宗教右派』という言葉を使うな(定期)
ルーツとか民族とか国とか宗教とか文化盗用とかにすげえ無頓着というか、それを考えないことがリベラルと思っているようなの、たまに見る
「我々は皆多様だ」(これ自体は正しい)の延長線で「だから境界線なんてない」と雑に振り翳して色々なパワーバランスを置き去りにし、結果的に同化に繋がらせてしまう
それ、「我々は元々皆一緒だ」(これ自体は間違いでない)「だから境界線なんてない」と五族共和だ八紘一宇だ言いながら侵略掠奪しまくったマインドとどう違うんですか、と思う
(そして右派は右派でいまだにこの歴史修正ゴミ建前を信じて「だからあれは解放戦争だった!」とか言っている者もマジでたんと見る
何なら「我々がやったようにパレスチナも西側から『解放』してやらねば」みたいな話が出たりしてどうしよう…と思う)
ー沖縄の米軍基地の多くは戦後に本土から移ってきた。1955年に本土89%、沖縄11%だった米軍専用施設は、本土の反対運動などを背景に徐々に沖縄へ移転。日本復帰した72年には58・8%になり、現在も7割が集中する。
沖縄に基地を押し付けたまま、「国の専管事項」と距離を置き、負担の飛び火を避ける。こうした当事者性の欠如が、沖縄への基地固定化の温床になっている。ー
11%だった1955年でも少ないとは思わない。反対運動数年やれば基地を動かせる「本土」と、何十年運動しても基地が減らないどころか強化され続ける沖縄の違いは、運動のやり方でもなければ物の言い方でもなく、単純に差別している・差別されている関係というだけの話。
アンケートに示されたのは全国の知事の基地に対する当事者意識の薄さ。これは国民の意識と大して変わらないのでは。
イスラエルの人々が「Free Okinawa/Ryukyu」って叫んだら日本人の目にどう映るんだろう。どんな問題なら、日本人は当事者意識を持てるんだろう。
神社関係者 あらゆる差別に反抗🏳️🌈🏳️⚧️🕊️
同性パートナーと暮らすノンバイナリ
宗教差別に反対する文を書いていますhttps://books-lighthouse.notion.site/LGBTQ-698f92b99c454d6aa801b1aa2527b01d
【ALT】アイコン:ノンバイナリーカラーのパンダっぽい何か ヘッダー:森の中の参道と鳥居