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こぼね さんがブースト
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令和6年度千葉県人権啓発指導者養成講座の開催について/千葉県 pref.chiba.lg.jp/kenfuku/keiha

おいおいおいおい千葉県!!!!!
森奈津子を「人権啓発指導者養成講座」の講師に呼ぶんかい!!!!!!!
しかもド直球に「体ではなく心の性で性別を決めようとするLGBT思想、トランスジェンダリズムを法制化しようとする動きから、女子トイレ、女湯、更衣室、などの「女性のスペース」を守る活動についてお話いただきます。」って書いちゃってるんだが!?!???!?

お便りしました。

こぼね さんがブースト

締め切りを延長したそうです。
引き続きよろしくお願いします。

(第二次集約)2024年9月26日(木)23時00分 締切 
chng.it/T7XFXs6kq7

x.com/kurd_m_san/status/183692

私は大人になるまで、自分が(自分を含む全ての存在が)、いつどこでどんな状況であっても「助けてくれ」と叫んでもいい存在だということを知らなかった。
今の私は「助けてほしい」と叫べているし、そしてあらゆるところから助けて頂いている。

私もいつもどこでも、できることを、できるだけのことを、と思う。
今日もできることをします。

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(Twitter上で、誰か何かが"宗教右派"という語句の言葉狩りをしているみたいな印象操作として機能してる投稿があるな…。と思っての投稿です。)

少なくとも私は"宗教右派"という言葉だけをとってダメだと言っているわけではなくて、文脈を考慮して、問題のある言説について指摘してる。
本当にその文脈で、"宗教右派"として宗教と関連付ける必要はあるんですか?単に"右派"とするのは不適切な文脈なんでしょうか?それじゃ説明できない何かがあるんですか?ないなら不必要な紐付けをしているんじゃないですか?って話をしてる。

大きな括りの「宗教」に安易に紐付ける前に、その紐付けが本当に必要なものなのか一考してもらえませんか?という話。
それは個別の宗教団体の問題として語る事は不可能なのか。抽象化は優れた思考法だけれど、安易な、または不適切な抽象化は、物事の解像度を下げ、物事の適切な理解を阻むので危険ではないかという話をしてる。

宗教、信仰はそれに関わる者のアイデンティティ、生活、習慣、一生に関わる事であるので、それを雑に踏み荒らす事は、人権侵害になりかねないという話。

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ホームレスはどうすれば? 「銀行口座」開設にマイナカード義務化で「弱者排除」の新たな水際作戦
tokyo-np.co.jp/article/354542
《もともと住所認定が難しいホームレスの人がマイナカードを取得するには、行政機関が聞き取り調査をするなどして本人確認をする必要があり、手続きは煩雑だ。さらに6月には、口座開設時の本人確認にマイナカードを義務付ける方針も決まった。来年度以降、非対面の場合は本人確認はマイナカードに原則一本化、対面時もマイナカードなどのICチップ情報の読み取りが義務となる予定だ。》

河野太郎やマイナ利権に群がる企業に、こういうことが起きますがどうお考えでどう対策しますか?って取材しに行ってほしい。

こぼね さんがブースト

都合の良いように、
ある時は「宗教・信仰の影響は絶大だ(だから危険だ)」とし、
またある時は「宗教・信仰なんて取るに足らない(だから軽視して良い)」とする。
この態度のどこが対等に接しようとする相手および集団に取る態度なんですか?

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こぼね さんがブースト

"悪い事""都合の悪い事"をすべて、何らかの宗教または「宗教」という大きすぎる括りに結びつける言説は、日本・日本語圏においては、"日本的無宗教"ではない何らかの信仰をもつ者を、言論の空間ひいては社会から排除し、その者がその者として何かを語る事を妨げ、抑圧する効果があります。

私はそうした"主流ではない""一般的でない"者達(マイノリティ)を排除・抑圧する構造、およびその構造を維持・強化・再生産する仕組みと言動を差別であると認識しています。

宗教は現地の文化・社会と相互に影響し合いながら発展してきています。
そこにある差別や暴力について、日本の文化・社会の構造の問題に言及せずに、宗教だけに原因があるように言い切るような態度には、合理性も正当性もないでしょう。

その態度は、「自分は無宗教(または異なる宗教・信仰)だから、自分とは関係のない悪い奴らが差別や暴力をするんだ」と社会にある問題を自分と切り離し、外部化する態度です。
私にはそうした態度が、この社会にある差別や暴力をなくしたり、その害を減らしたりする事に資するとは思えません。

同時に仮に問題のある宗教団体にまつわる信仰だとしても、その信仰を持つという理由だけで、個々の者の信仰を軽視したり侮辱したりする事はひどく暴力的で咎められるべき行いです。

「差別的だと思ったなら、付き合い自体をやめればよかったのに」と思われるかもしれません。
ですが宗教差別でそれを行なった場合、私は友人知人フォロイー9割と縁を切る話になります。
それくらいに宗教/信仰に対する差別や搾取に自覚的な方が少ない中で、我々は損なわれた権利を回復してゆかねばなりません。
また我々自身がマジョリティとして損なった誰かの権利について向き合わねばなりません。
そして更に我々は、クィアとしても生き抜かなくてはいけません。
メンバーによっては障害者だったり、犯罪被害者だったり、病があったり、国籍を持たない国に住みながらも、この活動に関わっています。

差別されやすい属性を多く抱えて、なぜ外へ出て(多くの場合差別的な)誰かと繋がろうとするのか?

その答えは我々が語るまでもなく、差別反対を掲げる方ならば皆各々の考えをお持ちでしょう。
どんな状況にあっても、実際に接し対話を重ねることによって、相互理解と差別解消へ繋がれる瞬間が確かにあると、我々は経験として知っています。

今回は残念ながらそれを望むのが難しいケースになりつつありますし、同様の事態はこれまでも複数回あり、今後も起こりうるものと思います。
しかしこれからも、我々は誰かと繋がろうとし続け、生き延びようとし続けていきたいと願っています。

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リンク先、非常に差別的・攻撃的な文章ですので閲覧ご注意ください。

note.com/li_kotomi/n/nd4bb35bf

李氏はこの追記によって、連絡会への当初の取材の最中から「神話」などの概念の流用などについての宗教差別の指摘を、「どうにも理解できない」のではなく「私はそうは考えない」という考えを自覚的に持っていた、そして全くその主張に賛同はしていない団体だが祝詞作成などの専門知識だけは、他に調達先もないし新たに探すの面倒だし使わせてもらおう、でも出版前に連絡したら文句言ってくるだろうから連絡しないで出版しちゃえ、いざなんか文句言ってきても、こっちは芥川賞作家と由緒ある筑摩書房なんだから素性もしれない怪しい団体のクレームなんか誰も相手にしないし踏み潰せば問題ない、ぐらいに考えていたのだろうことが明らかになったように私は思いました。

テレビ撮影クルーが公道を占拠して当然のように通行者に回避を求めるような「大手メディア」「由緒ある出版者」「高尚な文化である文学」の傲慢さの問題もあるように思え、ますます李氏の属人的な問題でとどまらないものだと感じます。

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『言霊の幸う国で』作者・李琴峰氏の差別やハラスメント被害告発への対応があまりに酷く、またそれが関係者や著名人の方々から放置されている(オフラインで動いておられることを願ってはいますが)ことの問題性について、非常に長くなってしまったのでブログを作成して記事を投稿しました。

shu-democracist.hatenablog.com

また、記事内で @gucchi_penguin さんのMastodonでの投稿を、参照すべき重要な指摘であると考え複数引用させていただきました。

もし、意に反する掲載になっている場合などにはお手数おかけして申し訳ありませんがご連絡いただけますようお願いします。

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「改行や句読点の打ち方も含めて意図や意味があるかもしれない」と考えず、「句読点がなく、改行もばらばらの状態のもの」の言えてしまうこと自体が、相手の創作物(創作物、でいいのかな……)への軽視ではないですか、と思いました。

たとえばそれを「詩」と認識していたら、無断で改行位置を整えたり、句読点を足したりしなかったんじゃないのかな。

それは「改変」と言えるんじゃないのかな。

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私が連載を依頼したのは、私が宗教や信仰に関して理解があったからではなく、むしろ「よくわからない」ということに気がついたからです。差別や偏見の根本にあるのは「よくわからない」だと思いますので、今回の声明文や連載はいわゆる「無宗教」を自認する方にこそ向き合ってもらいたいです。連載はまだ第2回までですが、今後も続きます。

books-lighthouse.notion.site/L

私も原稿のやりとりをするたびに知ることが増え、同時に「知らず知らずやっていたアグレッション」などに気づかされています。ほかの様々な差別に対してと同様に、宗教や信仰(を持つ者)に対する差別にも抗うことができるよう、ともに学び続ける者が増えることを願っております。

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当店運営の「web灯台より」にて連載(「信仰とLGBTQ+の交差点から ——宗教と差別——」)も担当していただいている神道LGBTQ+連絡会より、声明文が出されております。ぜひ一読くださいませ。

筑摩書房発行の李琴峰氏著『言霊の幸う国で』における祝詞等の無断使用・改変について

shintolgbtq.com/

【お知らせ】
筑摩書房発行の李琴峰氏の著書『言霊の幸う国で』における祝詞等の無断使用・改変について


本件について経緯書を作成しました。お読み頂ければ幸いです。
(画像が読みにくい際や、文中リンクのご確認は下記のリンクをご覧ください)

shintolgbtq.com/


・今後の正式な対応が確定次第、改めて結果のご報告を行います。
・客観的な事実の記載を心がけてはおりますが、あくまで弊会側から見た経緯となることをお含みいただければ幸いです。
・李氏個人への不当な批判や攻撃が生じることは本意ではありません。 [添付: 7 枚の画像]

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日本のクィア系の学術または言論界隈で"主流"になっている方たちの記事とか投稿とか見てて改めて思ったんだけどさ、
日本よりも欧米とかの方がクィアの言論の蓄積って"先行"または"深化"していて、体系化されているからそれを日本の状況を表すのにも援用したりするじゃない。
それ自体は悪い事ではないと思うんだけどさ、やっぱり私たちは実在している者だからさ、言論または概念と、実存が合致しないってことあるじゃん。
日本国外または日本語圏外の文化の上で、蓄積されていった言論・概念なら尚更そういう事があってさ、その時に、
「私たちはそうじゃないよ」「私はそれに違和感を感じるよ」って表明すると、それに対して
「こっちの方が学術的に正しい」とか「こっちの方が蓄積があって、解像度高く分析できてる」とかって、「こっちが正しい」「そんな例外引っ張り出してくるなよ」って態度を返されるのは、やっぱり納得いかないんだよね。
今、学術的または言論的に"主流"とされている事が必ずしも"正しい"わけではないし、
学術や言論の蓄積の時に「本当にインターセクショナリティって顧みられてきたんだっけ」とか、「それは権威主義や能力主義や多数派の専制と隣り合わせなんじゃないの」とか色々思うわけですよ。

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さて去年もやった恒例行事(??)、大学入試センターに志願票の性別欄について問い合わせるのコーナー。
「『該当する性別を○で囲んで』とあるが、該当する性別が無い!」と去年と同じお問い合わせをしました。
去年の回答は要約すると「受験室の割り振りやトイレの都合でどちらかの回答が必要。とりあえず戸籍上の性別を回答して。」でした。
今年は、「女子大学や受験室の割り振り、トイレの都合でやはり回答が必要。普段の使用するトイレや外見上判断される性別を回答して。」でした。

私はどこかの植民地の神々の名が付いたモンスターが倒されているのを見るとしんどい
その世界の悪事が謎の邪教のせいになっている展開もしんどい

それらがキャプションもつけられず当たり前のこととして無批判に受け入れられている世の中が一番しんどい

何件か「同一人物?」とお問合せを頂き困惑しているのですが、
李琴峰氏の『言霊の幸う国で』に登場するpumpkinのモデルとなった方と私は別人です。
その方とはこれまでに数度お話ししていますが、現在は交流はありません。

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