というわけで年末年始はフィリピンで過ごします。21年ぶりなんだけど、空港から親戚の家へと送ってもらっているとき車の窓から流れ込んできた空気に、あ、フィリピンの道路の匂いはこうだったなと思った。覚えてる。

昼前起床を繰り返していた無職が朝7時に起こされて夏の陽射しを受けている このままでは健康になってしまう 没収が怖くて抗うつ剤持ってこなかったから丁度ええわ

どの家も門も背が2Mはあって高い。野良猫が日本で見かけるよりほっそりして野良犬もいる。クリスマスは正月と合体した超ロングフィエスタなのでまだまだクリスマス飾りやツリーが見られる。

ファーストフード店の前でママが片腕片脚のない人から貝殻でできた首飾り、お爺さんからタオル、子どもから風船を買っていた。雇用がないこと、宗教由来か国民の施しの心の強いことを感じる。

ちゃんと見せてもらったら貝じゃなくてSampagitaの花を繋いだ飾りだった。これは萎れるまで飾るものらしい。ジャスミンのような香りがする。今は車のミラーに引っかけられて揺れている。Sampagitaはフィリピンの国花で日本で言うところの桜。

家々の合間に広い広い誰かの持ち物だろう土地が挟まっていて、牛やら山羊がいる。牛もどれも痩せてみえる。何の牛なんだろう。

21年前わたしが一番好きだった遊びは大きなマンゴーの木に登って、雲が流れるのや陽が傾くのや遠くで牛が草を食むのを、座る場所を変え変えのんびりと眺めていることだった。

フィリピンでは親戚間でやるBlessという挨拶があって、目上の人への敬いを表して相手の手の甲に額をつけるんだけど、わたしは今までやる側だったから今初めて会った男の子と女の子達に手を取って額をつけられて、この子達は従兄弟甥と従兄弟姪なのだなと分かった。初めてされる側に回った。

親族でバタンガスのビーチリゾートに集まって遊んでいる。フィリピンは12月でも水着で遊べるほど暑い。フィリピン人は自撮りが大好きで、恥ずかしがらずに様々なポーズにチャレンジして自分で、あるいは互いに写真を撮りあっている。TikTokも撮る。自分は日本でやらないことは他所でもやらないタイプらしい。
海に入ると白と黒の縞々の魚が浅瀬まで来て泳いでいたので追いかけたが、撮った写真を見ても分からない。一匹だけ分かったので⭕️をつけておく。
眠くなって昼寝をして起きるとだいぶ暗くなっていて、従兄弟たちはまだプールで泳いでいた。元気。

叔母さんのふくらはぎに薔薇のタトゥーがある。従兄弟の二の腕に死神のタトゥーがある。みんなにタトゥーが入っているのを見て、わたしなら何の絵柄にするか考えておかなきゃと考えはじめた。忘れていた常識を思い出したみたいに。

食後おじさんおばさんたちが「あんまり遅くなるとよくないよ」「もう始めよう」という会話をしていて、何かと思っているとカラオケセットが取り出されあっという間に盛り上がっていた。楽しそう。

自分の寝泊まりするバンガローの屋外のダイニングスペースに戻って天井を見るとヤモリが三匹いた。一家かもしれない。フィリピンではヤモリもよく見るのを思い出した。虫も居る。虫がダメな人はフィリピンはムリだろうな。いつもお世話になる親戚は首都マニラ近辺住みだけどそれでも家に入ってくる。

ベンチに座って日本から持ってきた本を読んでいると従姉妹が「Ate,Umiinom ka ba ng kape? mainit? malamig?」と訊いてくれて、お願いしますが出てこなかったので「Malamig please」と答えて手を合わせる。ください・お願いしますはpakiusapだ。用意してもらったアイスカフェオレは日本から持ってきたインスタントだけど、特別美味しい気がするのはわたしの為に従姉妹が包丁で叩き割ってくれた氷のお陰もあるだろうな。

昔この歳下の従姉妹と一緒に庭でバケツに色んな洗剤を混ぜて遊んでいたところ、母とおばにド叱られたのをついでに思い出す。無邪気になんつう危険な遊びを……

結構昼寝してさらに22時に寝たからって5時に起きちゃったよ。みんなも起き出してるし。フィリピンの日本との時差はマイナス1時間です。少ししかないからボケない。
星が綺麗だよとママに言われて見てみたけど地元と変わらないように見える。空は広い。鶏の鳴き声が聞こえる。これも変わらないはずがコケコッコーじゃなくてタッタラーオーに聞こえる。

これはフィリピンで「健康な無職」と書かれたTシャツを着て海辺のブランコを楽しそうにこいでいるわたし

朝食べた焼いたバナナが美味しかった🍌小ぶりで歯応えがあり甘みも強い。バナナにも種類があるのは知っていたのでこれは何種かとママに訊くと調理用にされることの多いサババナナだそうで、日本に多く入荷されるものは何かと訊くとおばさんとのすり合わせの結果ラカタンバナナと分かった。

入れ替わり立ち代わり親戚が来てご飯食べて帰ったり帰らなかったりしている 今何人おるかわからん 20人はおる フィリピンは今の世代でも平均三人兄弟で、母は七人兄弟なのでそうなる

犬も三匹いる。ビヨンセのライブ映像を見ながら差し出されるままにすべてに口を付けている。
ルンピアンシャンハイ(春巻き)、プト(米粉の蒸しパン)、ウベビコ(紫芋の餅米)、パンシット(ビーフン)、チャーシューみたいなやつ、ローストチキン、スナック菓子、スイカとメロンと梨。
モヒートを2杯テキーラを4杯飲んでいたら酒飲み側の席に回された。はい。
今まだこっちは年明けてないです。

フィリピンの年明け、ラジオ等の音楽が各家庭で大音量、トロトッ(おもちゃのラッパ)が鳴り響き、各方角で花火が上がってたら爆竹が鳴らされててうるっせえwwww好き

マジで毎朝6時に起きてる
朝食のパンデサル(塩パン)とココジャムとカフェオレ 撮り忘れたけどエンサイマダ(チーズのパン)も食べた

食卓の写真一応撮ってはいるんだけど食べてる最中にどんどんおかずが追加されるから揃ったタイミングでは撮れないんだよな
そういうものかとママに聞いたらそういうものと言われた😅
昨日なんかはカニとか海老を手で食べてたからスマホ触れないし
フィリピンは手で食べる文化も残ってます

わたし「わたしが今食べているこれって何ですか?」←毎食これを繰り返してる

分かるものと分からないもの半々?
写真撮るの結構諦めてる
シシグ(豚肉の胡椒醤油炒め)、トルタ(スペイン風オムレツ)、パンシットカントン(広東風焼きそば、コンビーフ、アドボ(豚肉煮込み)、ビコール(魚のココナッツミルク煮と海老のココナッツミルク煮の回)、ラングニッサ(ソーセージ)、あとなんかわからん、魚の煮込んだのとか魚の煮込んだのとか魚の煮込んだのとか

フィリピンに着て見かけた日本語T
・銀魂の真選組のイラストとキャラの名前(いとこが着てた。好きなのか聞き損ねた)
・レイシェル(レイシェルさんなんだろうか)
・綺麗な(綺麗な…)
・クレイジー(クレイジー…)

車移動中に「ファストフード買っていこうか」となってマクドナルドボイコットしてるのと単純に行きたいからとお願いしてフィリピンオリジナルのファーストフード店ジョリビーへ
ジョリビーくんの変わらぬ懐かしい顔!
フライドチキンもハンバーグとご飯のセットもパスタもある。
自分が食べたのはバーガーとポテトとドリンクのセットで182ペソ…日本の360円くらい?

車とバス移動ばかりだけど昨日トライシクルは乗ったしフィリピンといえばジプニー。
まともな写真撮れたら載せ直すね。
でもジプニーの始まりはさっき調べるまで知らなかった。

>ジプニーは第二次世界大戦後に誕生しました。
>戦時中までのフィリピンの交通手段は路面電車とケーブルカーが主でしたが、戦争によって街は壊滅状態に陥り、頼りにしていた路面電車などは使えなくなってしまいます。
>しかし、そんな状況でもフィリピン人はひらめきました。「そうだ、アメリカ軍が置いていったJeep(ジープ)を使えばいいじゃないか!」と。
>終戦後、アメリカ軍はフィリピンから引き上げる際に多くのジープをその場に残していきました。
>その後は乗り合いバスとして乗客を乗せるために内装を改造し、周りとの差をつけるため各オーナーがデザインにこだわり、現在の派手なジプニーが誕生しました。
>ちなみに「ジプニー」という名前は車の名前のJeepと小型乗り合いバスを意味するJitneyを合わせたものです。
(引用:daredemohero.com/39592/)

見かけた日本語Tに「呪術廻戦」Tシャツを入れ忘れてた。
YAMAHA、HONDAのロゴを見る。マジでセブンイレブンがめっちゃある。空港にはローソンが入っていた。

オタク向けの本屋?の看板に薬屋のひとりごとのイラストがある。以前は日本アニメの流行りに遅れを感じてたけど今はネトフリとかAmazonプライムがあるから無くなってきてる模様。
OTOKUDANE Japan marketの看板を見る。商品ラインナップが気になるぅ〜。

インフラのレベルが高いことに慣れるとそうそう下げられない。
道路を見て、お手洗いを利用して、病院にかかって、(フィリピンで暮らせねえ〜)と思っていたらママも「フィリピンではやってけないわ〜」と言う。
「ママなんか子どもの頃は蛇口から水とか出なかったから毎朝井戸に汲みに行ってたけどそれでも無理。日本の暮らしに慣れちゃった」
それでもフィリピンの人たちは明るく逞しい。万年鬱病のわたしがこの国に生きていく余地がある気がしない…!

フィリピンの人たちは幼稚園から英語を習うのでタガログ語と英語を当たり前に喋るのだが(前提)
わたしは魚を見てfishじゃなくて「isda」と言ってfish?と聞き返されるし、売り物からタグが外れてcome offとかじゃなく「tanggal…」が出る
英語弱者過ぎる

Acienda Designer Outletでお買い物。国が変わってもアウトレットの建物の雰囲気変わらないの何なんだ!?土岐プレミアムアウトレット(岐阜県)と区別つかん!値段もそう変わらん!パンツ2本買ってもらった。

今日見た日本語の看板と広告
・美味しい丼(美味しい丼を売ってるんやろなあ)
・東京東京(屋台だった。マジで何の何…!)
・うめや(巻き寿司と麺すすってる映像だった。日本食か)

親戚宅に帰ろうとジプニーに乗っている時隣のおばが「子どもが居るからね」と運転手に知らせていて、何かと思ってジプニーの乗降口を見ると大体九歳前後の背丈に見える子どもがこちらに背を向けて座っていた。客ではなくストリートキッズの類だとわたしにもすぐ分かった。

子どもはそのまま大きな、あどけない声で何かを言い、明るい歌を歌い、立ち上がってジプニーの客に手を出してみせた。何を言っているのか歌っているのか、手を差し出しながらの「kuya,ate,Penge ng pera」(お兄さん、お姉さん、お金をちょうだい)以外何も聞き取れなくて、お金を持たされていないわたしは咄嗟に俯くしかなかった。
おばを含めた何人かのお客さんがコインを渡しているのと、子どもが着ている水色の花柄のワンピースから覗く脚の、ふとももの裏に500円玉くらいの大きな瘡蓋があるのが見えた。

子どもが乗降口に戻ってもジプニーは止まらないまま、おばが「下ろしてあげてよ」と運転手に言っているのが分かったけどしばらく進み続けて、子どもが元来たところに戻れなくならないかどうか考えている内に信号待ちになって、子どもは居なくなっていた。
日本に帰りたい。ここでは駄目だ。日本でなら自分の不幸をもっと堂々と嘆いていられる、と思った。

言われた値段が相場よりかなり高いと感じつつ「図書館まで」と頼んでトクトク(フィリピンのトゥクトゥク)に乗ったのに、図書館とは全然違うところに降ろされたことに警備員に図書館の正門位置を聞いてから気付いたおばが「フィリピン人を騙すなんて!」と憤慨していた。そこ?
ママ「もうここで良くない?」
わたし「わたしもそう思う」

結果成り行きで見た国立美術館の内容がとっても良かった。

いくらフィリピンでも一月に三十度は暑すぎる。
そんな中で知らんお姉さんと知らんおじさんの体温を左右に感じながら、片手は頭上のバーを掴んでもう片手で自分のショルダーバッグを押さえて、汗と香水と排気ガスと屋台の食べ物とドブなどの混ざった匂いを吸いながら、何度か止まるジープを運転手が座ったままペンチ片手にアクセル・ブレーキのあたりを弄ったりボトル片手にボンネットを開けて何かするのを見ながらジプニーを二台乗り継いで親戚宅に帰ったが、マジできつい……と思った。
あんまり暑くて汗が噴き出るもののタオルを忘れてしまったのでティッシュに汗を吸わせているとティッシュが一部黒くなっていて、これはと思ってこっそり鼻の穴の中を拭ったら思った通り黒く汚れていた。マスクを着用すべきだったなと後悔。

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