2024年11月7日|mnemosyne https://sizu.me/mnemosyne/posts/zw9e4ebxku4b
「父親と子ども」の組み合せを見かけると、たいてい「良いパパだ」「最近の父親はすごく育児に熱心だ」ということばを聞くのだが、そんなんずっと、「母親や母親役」はやってきてたのに、なんも言ってもらってないなってことです。わたしも言われたことがない。「母親がちゃんとして」は言われた。なんかすごい悲しかったのを覚えてる。「わたし」としては見てもらえなくて、「母親(赤ちゃんの付属)」やった。がんばって当たり前で気がずっと張っていた。風邪を「引かせた」ら、医者からも冷たい目で見られているように、非難されているように感じた。しんどくてしんどくて、しんどかった。胃を悪くしたし、それですらいたわってもらったことはない。わたしはシンママだから、他の人より劣っているから、人より努力して、やっと「まあよし」になる。なんでって、ずっと思う。もし、「そんなふうに思ってなかったよ!」といまさら言い訳言うなら、そのときに、「すごいがんばってて本当にえらい」と、言ってくれやんかったんやろう。あの頃のワイはずっと泣いてる。ずっと怒ってる。
2024年11月6日|mnemosyne https://sizu.me/mnemosyne/posts/i9s09d8h7cxt
なんかぜんぶ無理だな〜と思う。譲ったらぜんぶ譲らされる感じ。なんでわいには、自分なら嫌なくせに「それ」ができるんやろう。人の心がなくなってしまったのか?
2024年11月5日|mnemosyne https://sizu.me/mnemosyne/posts/h4kvut6vf73s
2024年11月4日|mnemosyne https://sizu.me/mnemosyne/posts/9u201t54fo58
今回ふたたび縁切ったおっさんについては、ワイちゃんの見る目がないとかではなく、巧妙に、外部の目がないところで、セクハラやモラハラをふるわれていたので、最初は「あ〜なるほど笑」「ちやほやしてその腐れたこころとちんちんを育てよう!」みたいに思ってたけど、冷静に考えて、なんでおっさんのちんちんの相手せなあかんねん怒怒と思い、相手がちょっとした失態をしたことで、わたしが怒るターンに入ることができた。わたしが怒り狂ったのでむこうは謝罪したけど、怒らなかったら失態ではないと思っていただろうし、なんなら楽しいじゃれあいとでも勘違いしていたかもしれない。でも、勘違いさせときたかったきもちはある。増長させたかったし、育てたかった。というのも、わたしが譲り続ければ、むこうが勝手に育つから。誰でもそうやった。でも今回は、わたしは怒ってみることにした。おめーの謝罪は受け入れないし、なんならわたしが怒っていることは正当で、怒っていることそのものを謝らないしな、と突っぱねることにした。遅くなったけど、怒ってよかったと思う。ほんとは、もっとはやく、ずっと若い頃から怒っていたらよかったけどな。
2024年11月3日|mnemosyne https://sizu.me/mnemosyne/posts/0as49h71vcst
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