「若年女性の流失が少子化の原因だから若年女性の流出を止めよう」なんて言われたら、子どもは産みたくないけど地方で暮らしていくつもりの若年女性が生き辛くなるだろうが〜〜〜!!!!と思う子どもは産みたくなくてかつ地方で生きてきた元若年女性として思った。
出生率なんて関係なくジェンダー平等は実現しなきゃいけないんだから少子化対策の為にとか言うな〜!(少子化対策の為にジェンダー平等にしようという言説、全く人権第一じゃない)
市販薬でのOD(まったく今に始まった問題ではない まったくないのだが)する若者出現させるような政治をしてる大人が、若者を締め上げる形で「対策」しようとする、というの、構図で見ると地獄なんですよ。
あとハームリダクションの視点がなさすぎて対応として普通に、かなり酷い、悪手です。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231219/k10014292461000.html
ハームリダクションについて。
『やめさせるのではなく、使うことによるリスクや健康面などの「被害」(ハーム)を少しでも「減らす」(リダクション)ことを目的とする支援方法』
薬の話だけでなくいろいろなトピックに対する視点として大切なところと思います。
https://www.nhk.or.jp/heart-net/article/675/
RE: https://ddoskey.com/notes/9nfmkqf9rq73u8zc [参照]
西欧諸国から「未開」の眼差しを向けられていた日本は、その劣等感を解消するため1903年に大阪で開催された内国勧業博覧会の民間パビリオンとして「人類館」を設置し、日本をアジアの中で最上位と印象付け「未開」から脱却するための装置として利用した。
この反省がないまま差別構造だけが維持され、「7種の土人」として展示されたアイヌ・琉球民族などは今現在も表面的には差別に見えない洗練された差別を受けている。
日本がアジアに対し謝罪や反省をすることはもちろんだが、琉球民族(末裔)として反省すべき点もある。差別から逃れるために更なる差別を作り出しまるで「日本人」かのように振舞った事実を忘れてはいけない。自発的な議論を積極的に行い、繰り返さない誓いをたて誇りを取り戻したい。
「人類館」は沖縄人が日本人への迎合・同化の道を選んでしまった歴史的に大きな分岐点だったように思う。
何度でも繰り返すが沖縄戦は前述した民族差別から派生したジェノサイドである。日本人は他民族への差別を直視し、内在化する植民地主義と向き合う事でしか第二の沖縄戦は防げない。
凄惨な沖縄戦の継承と米軍批判に明け暮れるリベラルが本気で沖縄差別の解消を求めているか疑問視されるのは当然の帰結。
3年前の記事だけどなかなか興味深い。日本人の気候変動問題への無関心さは科学的リテラシーの欠如ではなく、気候変動対策を行うと、今までの生活の質が下がったり我慢を強いられたりするのではないかという「負担意識」という観念があるからではないか、そこへの忌避感や嫌悪感から一部の人は陰謀論・懐疑論に走るのではないかと著者は推定している。自分の考えもこれにかなり近い。
何故このような認識になるのかというと、環境問題構造やシステムの問題でなく、「一人一人の意識の問題」だと捉えるという、日本独自の良くない観点が関係しているんじゃないか。例えばテレビの番組なんかを見ていると、「地球を守るために何をしますか」という質問に対して多くの人が、「マイバッグを使う」「食べ物を残さない」などと回答している。つまり個人の問題に矮小化している。だからこそ、環境保護のためには自分の生活を変えなければならない→なんか面倒くさそうという認識になるのではないか。
なぜ日本人は気候変動問題に無関心なのか?
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/83aba01a3b3e7aca73735384bcffc15afd8935d4
子ども食堂、あまり貧困貧困いうとスティグマ化して
本当に必要な子が行きづらくなる(行く=貧困とバレる)というのもあって難しいんだが、
(だから貧困対策だけじゃない誰でも来ていい地域交流の場だよって言ってるし実際その機能もある)
そもそも貧困は恥ずかしいみたいな偏見の方をどうにかできんもんかな…?
自己責任の呪いで、貧しい=本人が悪いって思い込みがちだけど、
真犯人、政府じゃん?
「テロリストだ」とか「テロだ」と言えば攻撃しても構わないという思考停止が招いた事態でもある。デモやレジスタンスや戦争を、「テロ」とレッテル貼りするシーンが近年増えていて、その延長線上にこの銃撃はある。
上半身裸、「白旗」でも銃撃 人質射殺、発砲時に確認せず―イスラエル軍:時事ドットコム
アイヌの方に「アイヌはアイヌ語で『人間』という意味なんですよ」と教えてもらったことがある。聞くところによると世界の少数民族の民族名はその民族の言葉で「人間」を表すことが多いらしい。
日本や米国のような支配してきた国の言葉を支配されてきた人びとが(強制され)使うとき、必ずしも同じ意味で使っているとは限らない。どの言語にも言えるけど全く同じように訳すのは不可能だ。
支配してきた国には争いに関する言葉がたくさんあり、支配されてきた人びとの言葉に直接訳せる事が少ないと聞く。
言語と文化は密接に繋がっていて、だからこそウチナーンチュの話す「日本語」は時折ヘイトの的にされる。文化と密接しておらず、精神面と一致させきれない日本語を正しく使える日が来るとは思えない。
戦争体験者は自分の言語で語ることでしかより正確なその人の「語り」ができない。言葉を奪うのは歴史もろとも奪うとも言える。
空を指し天国とする人びとと、海の向こうにニライカナイを信じる水平思考の民族が言葉を共通させたところでわかりあえるなど互いのリスペクトがなければあり得ない。
歴史・文化・価値観が違う人の使う「日本語」が日本人の使う日本語と同じになるとは限らないのです。
僕が「ゼノ者(orゼノの者)」と呼び掛けてるのはゼノジェンダーだけに限定してはなくて、ゼノアイデンティティをもつ者たち、ジェンダーバイナリなゼノ者たち、「かもしれない」「なんとなく」「(仮)」の存在も当然に含めてる。
Xenoidentity | Xenoidentity Wiki | Fandom https://xenoids.fandom.com/wiki/Xenoidentity
20↑🏳️🌈🏳️⚧️トランスジェンダーでノンバイナリー。Aジェンダー。ゼノアイデンティティ。クィア。🟨⬜🟪⬛お絵描きが好き。うつ病持ち。
種差別反対。全ての差別、搾取、暴力に反対できるように。