これが流れて来た。
いや、そもそもsamuraiってついてる時点でもうわたし的には非常にネガティブに思っているので、色眼鏡で見てしまっているのかもしれないが、これってどうなのよ。
自分が当事者であっても、或いは非当事者であったとしても、わたしは他者に対して「鈍感であれ」「気にするな」「時と場合によって対応を変えろ」「悪い人ばかりじゃなく良い人もいる」とか口が裂けても言いたくないが。
https://twitter.com/SurvivalAmeric3/status/1767344298599592210
差別か差別でないか、「そう見えただけ」なのか、みたいな話、でも「ちょっとしたことでも"そう見えて"しまう」のは「だから責めたらかわいそう」とかでなくて、社会にそういう差別が未だあるからそう見えるので、なんていうか差別コスト的なものなのではないかと思う。
たとえ本当に「そう見えただけ」であったとしても、マイノリティがそのように反応せざるを得ない社会であることをマジョリティが考えるべきであって、マイノリティ側が「そうじゃなかったんですか勘違いしてすみませんでした」って言わなきゃならないことないよ。
1971年に国会爆竹事件を起こした「沖縄青年同盟」の一人、本村紀夫氏が亡くなった。
佐藤栄作首相が沖縄返還について「これまでの歴史にない最も好ましい解決を見た」と誇った直後に爆竹をならした有名な事件は、後の裁判で日本語を話せと強要する裁判官に沖縄語・宮古語で話し続けたという沖縄人にとって小気味良いエピソードがある。沖縄が日本ならなぜ沖縄語がわからないのだ、皮肉なやり取りは日本と沖縄の違いを明確にし、問題の核心をつく。
「沖縄の人が沖縄のことをしっかり考えれば、沖縄は変わる」
本村氏の残した言葉に向き合い自分の足下を掘り続けよう。
日本人も沖縄掘ってないで日本掘ってください。
ハリウッドからでも、ハリウッドのついででもいいから足下を見て欲しい。自警団が出来たとか言ってる。
"貸与型にするか給付型にするかという論争は、育英会設立当時からあったようです。その時に決め手となったのは、日本の家族主義的な美風を維持するという点でした。親は子のためを思って学費を払い、子はその恩を返そうと親孝行をする。ところが、国家が直接子供たちに育英資金を与えてしまうと、親の援助が不要になるので、親に恩義を感じて老後の面倒を見るというようなことがなくなってしまうかもしれない。貸与型の奨学金制度は、親が子に恩恵を与える余地を残す、言い換えれば、家父長制を温存するために導入されたという源流を持っていました" https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/36a8f6e6a10d82d696b87377ff2a0f8dc0aa832d
難民・移民の権利を訴えるとき、無理やり国に帰されれば逮捕される可能性があるのは政治犯の嫌疑をかけられている人たちだけでなく、国によってはいわゆる異性愛規範に当てはまらない人たちも含まれることを忘れてはならない
「レズビアンを理由に迫害を受ける恐れがある」ウガンダの女性は、かろうじて裁判で救われた 関空で「帰れ」→難民認定されず→有識者は話も聞かず【あなたの隣に住む「難民」①】
https://nordot.app/1134772116935983343?c=39546741839462401
温暖化対策に真面目に取り組まない政治家と企業を排除していけばすごく変わっていきます。⇒《「快適さを求めてもいいが、無駄なことは排除していく。皆が排除すればすごく変わっていく」》
「地球温暖化は解決できる」気象予報士の森田正光氏が熱弁 https://www.fnn.jp/articles/-/669119 #気候変動
一部の人間の利益を守るために起こっている温暖化の影響を受けた生業への被害を、まるで自然災害が原因かのように扱うのはやめた方がいいと思います。⇒ 東日本大震災から13年、異常高温で再び危機に陥った石巻「十三浜ワカメ」を守る住民と消費者の絆 https://www.fsight.jp/articles/-/50474 #気候変動 #環境正義
途中までしか読めないのだが、侵略されてる側に「白旗あげる勇気」とか何言ってんの???
いつもマイノリティ側が努力や歩み寄り、理解、思いやり、妥協を求められるのと重なる。
https://www.asahi.com/articles/ASS3B2RFSS39UHBI01T.html
「女言葉」の日本語における機能と、ドイツ語の名詞の性の機能の違いや、言語ごとの言語内ジェンダーによる表現について、わかってなさそうな党派性ご意見番インフルエンサーを見かけて。ご意見番じゃなかったらわざわざ言及しないのですが。
もちろん、性的マイノリティであることと、労働(私の場合賃労働)をしていないことは、それ自体同じ軸で語れることではないのだけど、言いづらさという面においては、働いていないことを話すことは、例えばセクシュアリティは話しやすいクィアコミュニティでもかなり難しいと感じる。中でもとりわけゲイコミュニティの方がきつい感覚があった。(ゲイコミュニティに関してはノンバイナリーであることや、恋愛的惹かれがわからないといったシスゲイではないセクシュアリティを話すのも厳しいので、そう考えると、男性に惹かれるという面以外は単なるホモソーシャルと変わらないのではみたいな感情になってる)
そういう点においては、例えば引きこもり当事者が集まったりしている場所の方が少なくとも働いていなかったり、ハラスメントなどの経験について話すうえでは安心できる面もあるのだろうかとはこの数年を回想して考える。最も、この場合はセクシュアリティをカミングアウトするかどうかという問題が生じるのだけど...。
20↑🏳️🌈🏳️⚧️トランスジェンダーでノンバイナリー。Aジェンダー。ゼノアイデンティティ。クィア。🟨⬜🟪⬛お絵描きが好き。うつ病持ち。
種差別反対。全ての差別、搾取、暴力に反対できるように。