@hatenademian
✕フォントサイン
〇フォントサイズ
@hatenademian 私みたいに鈍感な人間には、「などと」の部分のフォントサインを倍にして太字にして下線を引いても、何を言いたいのかわからないと思います。ますます、何だろう?この異様なフォントは?と首を傾げてしまいます。
@hatenademian
そういうことなのですか?「など」にそんな隠された意味があるのとは思いませんでした。このニュース本文だけだと、何が問題なのかよくわかりませんね。
@sayuri_t_h
その点もあります。
父親の存在はなかったかのように扱われるのに、中絶手術では男性の同意がないと女性だけが罪に問われる不均衡さ。全くおかしな話です。
アメリカでは同様のケースはどう報道されますか?
@ruriazami
どうしてよいのか分からずに産んで遺棄してしまうニュースもよく目にしますが「全く」赤ちゃんの父親のことについては報道されませんよね。
本当に異常ですが、報道する側にも放置した父親の責任はという視点が全く存在しないんですよね。
そのような社会環境なので自衛の意味も込めて性教育は必須なんですけどね、、。
まずは教育する人の教育から始めないといけませんね。
長い道のりです。
“ 「きちっと事件と向き合ってほしいということで、大きな声を出したり、机をたたいたりしたことはありました」”
“「捜査に向き合ってほしかった」”
問題と向き合ってほしい時に交渉相手に対して机を叩いて怒鳴ることが許される仕事ってある?
取り調べで机たたき、怒鳴る検事たち 上司も部下も、法廷で同じ“釈明” | 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20240716/k00/00m/040/197000c
十代のころ、本好きのひとたちから本を勧められて、その本も読んでいないので楽しみです、いつ読めるかわからないけど読みます、というと、これからこの面白い本を読めるのは素敵なことです、というようなことをいわれた。え? その本も読んでいないの? みたいな、マウントを取る、みたいな反応ではなく、皮肉でも自慢でもなく、これから面白い本を読めるのは幸せ、自分もまた読むのが楽しみだといわれて、読みたい気もちが高まった。
そういうひとたちにそのあと付け加えるようにいわれたのは、年を重ねたりすると、以前は面白かった本が面白くなくなるかもしれないし、面白いと思わなかった本を面白いと思うかもしれないということだった。
『魂に秩序を』(マット・ラフ 著、浜野アキオ 訳)は、リンクした版元の書影2枚のうちの帯がついているほうのその帯を見ると、物語の特徴が紹介されている。
読者によってはフラッシュバックしてつらい内容かもしれない。わたしは読みやすい日本語で、内容も面白いと思い、希望を感じたけれど、十代のわたしが読んだら同じように思ったかどうかはわからない。でも、この本をそんな多感な時期に読みたかったとも思う。もちろん、この本がすぐに翻訳されたとしても、とうに十代ではなかったし、机上の空論にすぎないけれど。
2003年に原書が出て、ジェイムズ・ティプトリー・Jr賞を獲得したとき、SF好きの友人から読め読めと勧められたけれど、この分量の重層的な物語は読めるわけがない、達意の日本語の翻訳書をプリーズ! と念じて20年が経った。翻訳書が出て本当にうれしい。
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