@minna_iiko
大人の責任として子供に対してはそうしたほうが良いと思いました。
で…今、大人もほとんどの人がそんな感じではないでしょうか。…彼らはいったい誰がケアすればよいのか…ケアする人が足りねぇ…
さいとう元彦のコンサル請け負ってた会社の社長、やらかしちゃったらしいね。仕事として請け負ったみたいな記述けっこうあったりして(もろに公選法違反)。
いや無償ボランティアだったんですよと言い張っても、県の事業けっこう請け負ってるみたいだしそれはそれで利益供与になるのでは。どっちに転んでもアウトかしら。
さいとうが会社訪問したようなので発注の実態が把握されたら連座制もある?とりあえず立花の件といい、選管と警察はしっかり仕事してもらわなきゃだね。百条委員会もだし。
選挙は終わっても一連の問題はまだまだ終わらなそうだ。
threadsそうなのか
しかしthreadsにしろblueskyにしろ、fediverseに共有する設定を本人がやらないといけないのがなぁ
他から見られたくないという気持があるならありがたい作りだけど、単にその機能を知らないだけだと面倒(共有出来るようにして!なんて他人からは中々言えない)
「賢くないから思いつかなかった」と「まともな倫理観があれば思いつてもやらない」ことを維新のチンパンは区別つかないらしい。
少なくとも都知事選で行ったポスター枠の販売は立候補者の制限が必要ではないか?という議論に発展したし、候補者であると言う優位を利用して他の候補者の妨害を繰り返してたらこれも立候補の制限しようという規制にしかならないよね?結局、倫理観を無視した好き勝手は民主主義の制限にしか繋がらない。それは賢さかどうかチンパンでなければわかることだ。
「立花孝志さんはものすごく賢い人」日本維新の会・藤田幹事長 当選目指さない選挙活動を「民主主義の中で許容される」と評価
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/1568187?display=1
コーヒーが飲めないので濃くした熱い麦茶をコーヒーっぽいなと思いながら飲んでいるんだけど牛乳は入れたことがなかった。入れてみても悪くないのかもしれないな。
代用コーヒーだとたんぽぽ茶が有名で、あれも好きなんだけど買うと高いので麦茶の方がいいです。
@minna_iiko いま手元のFedibirdでは動くようになっているので、もう少しかかりますけど、こちらの更新をお待ちくださいませ。
「わかったら何か得なことあるの?」みたいな態度、マインドセットってわからないことに対する防御反応なんだよね。
それまでがいかに心理的安全性がない環境だったか想像してあげなきゃならないし、どうしてそういう環境になっちゃってるかも大人が考えて改善していかなきゃならない課題だと思う。
たとえば「明治」とか「昭和」とか言ったときに、そもそも現在とは社会構造が違うとか、だからそこに生きてる人の感覚も違うとか、その辺りの想像力もかなり危うい。「考えてもわからない」というより、「そういうことを考えようとしない、想像しようとしない」感じ。
総じて、「わからないことをわかりたい」という意欲に乏しい感じ。「わかったら何か得なことあるの?」みたいな。そうは言わないけど、そういう姿勢が体に染み付いてる。その一方で、マーケティングには簡単にのせられる。ある意味、ものすごくわかりやすい。
私が大学生の時にも、そういう奴はいたし、今の大学生でも、十分に知的好奇心の強い子はいる。ただ、そういうコスパ度外視の知的意欲への社会的評価は変わったように見える。「無駄」と考える人が増えたのかな。感覚的にそう思うだけだけど。
羊料理美味しそう。中央線沿線ペルシャ料理屋さん多い。なんか理由あるのかな。
東中野駅西口にペルシャ料理店 イラン中心にウズベキスタンなどの料理提供
https://nakano.keizai.biz/headline/2979/
そのうち配信もあるかな。続報に期待。
デュア・リパ、ロイヤル・アルバート・ホール公演を収録したライヴ盤をリリースすることを発表 | NME Japan
https://nme-jp.com/news/149786/
この手のアプリ全般そうですけど一度クラウドと同期しちゃうとクラウド側だけ削除するのに一手間必要で面倒くさいんだよな。同期のままクラウドの写真消すとローカルも全部消えるからね。気をつけましょうね。
すべての端末で写真をGoogleフォトにバックアップする方法:iPhone、Android、Windows、Mac対応 | ライフハッカー・ジャパン
https://www.lifehacker.jp/article/2411-businessinsider-google-photo-backup/
「ここにある一切は、小説の一登場人物によって語られているものと見なされるべきである。」―「彼自身によるロラン・バルト」扉表紙