100回の決心のうち1回しか実行できなかったとしても。
で、都知事選挙で投票しなかった都民が4割いるという話だが、こういう人は「自分が世界の主人公であることに固執している人」だと思われる。いや、素敵なストーリーを生きている人という意味ではなく、個としてある自分の視界の外に茫漠たる世界が広がっているという残酷な事実に向き合えない人という意味だが。民主主義とはこの残酷さに向き合うところから始まる。
そして石丸はこうした民主主義忌避者のいくばくかを投票所に向かわせたのだろう。彼の在り方は民主主義の味気ない残酷さを個人的ヒロイズムで凌駕するというノンポリうってつけのファンタズムだからだ。この「誰もが人生の主人公ファンタズム」は極めて心地よく、極めて強固だし、どんなに公共性意識にあふれた人間にも多かれ少なかれある。実際我々は自分の人生の主人公ではあるし。その意味で民主主義は極めて「不自然」なのだ。その不自然さに向けてえいやと跳躍する行為が投票なわけで、尻込みしている人間のケツを叩き、なおかつ石丸のような非民主主義ファンタズムを拠り所にしている候補者には入れさせないとなると、こりゃ大変だ。以上。
一橋大アウティング事件は本当に本当にひどいんだよ…。同級生を好きになったゲイの男の子がその人に告白してしまって、告白された側がクラスのラインでアウティングしたという。学生は大学の相談室にも行って相談してたんだけどあまり相手にしてもらえなくて最悪の結果になってしまったのよ。アウティングした側は裁判で「同性に告白されて困惑してアウティングするしか方法がなかった」って自分が被害者かのような主張をして…。結局アウティングが重大な人格権侵害だということが初めて裁判で認められることになって、一橋大のある国立市ではアウティングを禁止する条例もできたんだけど、もう10年近く前のことになって少しずつ忘れられていってるんだよね…。
すげー若いとき、おれは結構寂しかったから、何年経っても尻尾振ってくれる人とパートナーシップを結べてよかったなとは思う。
今のおれはかわいいし性格も良いし人としてとても魅力的だけど、半分はパートナーとの関係性の中で培われたものだと思ってる。
しかし夏場の接触は許さない。近寄んな!って唾吐いてる。
「ここにある一切は、小説の一登場人物によって語られているものと見なされるべきである。」―「彼自身によるロラン・バルト」扉表紙