本当にディズニーのクィアに対する姿勢には毎度最悪な気持ちになる……。MCU世界が好きな人間としては、こういうニュースをs流たびに今後も元気に男×男のロマンスを描き続けていくぞという気持ちが強化される。 男×男のロマンスは、ブロマンスじゃなくてロマンス。 ガイ・リッチーのシャーロックレカぺで、世間でブロマンスと言われていることに対するジュード・ロウ氏の言葉 「It's a horrible term, what about just a romance?」(ひどい言葉だ。ただのロマンスだろ?)
自分は高校の時にとにかく読書の幅が広がったがそれまでは小説ばかり読んでた。
小学校の時には朝図書室で借りた本を放課後までに読み、帰りに次の一冊を借りて家で読み、翌日の朝返して…を繰り返していた。放課後に借りた本は帰り道にはもう広げて読みながら帰っていたから(今やるとダメなやつ)、夕飯後にはたいてい読み終わっていて、寝る前に読む本は家にある全集だった。まあ次から次へと繰り広げられるいろんな世界に夢中になっていたんだろうと思う。そこでは決まって正しいことが正しかったし真実は真実であるが故に価値があった。そこに何の疑問もなかった。
現実は理不尽だったよ。大人の機嫌が悪ければ殴られお前さえいなければと罵られるだけで何やら家庭不全の原因である悪の存在とされている自分だったが、それが何故悪なのかは説明がなかった。ただ単に自分の存在が悪なのだという現実しかなかった。
だが、今の自分は自分より弱いものに手を上げることも罵ることもしない。それが人を引き裂くことを知っているからだ。わざわざ他人にそんな思いをさせる必要はない。これはどこから学んだのか。自分はあの頃広げていた本からだと思っている。
「これ以上、脅して奥谷が自死しても困るのでこのくらいにしておく」
https://nordot.app/1231172056462262560?c=768367547562557440
もう反社やん(知ってたけど)
ちなみに立花、これまで前科3犯 懲役2年 つきまといで書類送検中
そうだ選挙の話だった。武蔵野市と言っても広いのだけど、現金を介してしか地域と繋がらないとか教育なんか含む生活の質の問題も全て現金で解決せざるを得ない層(含むわたし)にとってはあまり地域での繋がり、生活向上を訴えても響かないのだろうと思う。まして昼間は地元にいないのだし。
お金配ります、駅ビル、タワマン、再開発、企業を誘致してその税収を財源にして皆さんの税金は減らします、みたいな。繋がりなくても安全に生きられる様にしてくれる方が嬉しい。
で他所から現れるシュッとした候補者はそこを突いてくる。街の保全、住民の繋がり重視、再開発拒否というのはなるほど地縁と繋がって変化を拒む“既得権益”なわけ。
これは杉並区、西荻窪地区も他人事とは言えない。
詳しくはアレだけど私自身、新卒から退職対応してて先輩が「なんでこんなに…?いつもはそんなに多くないんだよ」って感じだったのが、いろいろあってそれからさらに自分の経験の範囲ですら「なんか…増えたな…?」っていうのを目の当たりにして、しかもそれが若手メインで、ちょっと聞くと次決まってるので社保とか大丈夫ですって人もいて、ああこれみんな逃げてるんだ、この組織けっこう終わってるんだ…って思った、それが決め手ではないにしても、自分の退職と無関係だったとまでは言えない。やっぱポロポロとハラスメントのうわさもある職場だった、弁護士としか連絡取れない人までいた。未来ある人から…辞めるんだよ…(そして残された人が詰む)
武蔵野市は一時マンション新住民が急激に増えて吉祥寺ヨドバシの客層なんかは裕福そうなベビーカー押した若いご夫婦だらけになったことがある。若者の街から元若者の街になった。商店街を歩いてる人の層が劇的に変化した。他所から吉祥寺に客として来てた裕福な若者が吉祥寺に移り住んで子育て始めたのかなと。それが20年から10年くらい前かなあ。
今その人たちが残ってる様には見えなくて、残ってても当時ほど余裕のある暮らしはしてなさそうで、人の入れ替えは止まってファミリー層の人出は目に見えて減って、でも若者がやってる若者の店とか若い客が戻ってきてるかと言ったらそんなことなくて、アイデンティティを失ってる様に見えるんだよね。埼玉の大宮とかに近づいてる気がする。
相対的にテナント料が高くて契約が長期なので気軽にお店を出せない、賃貸も高くて流入する人の種類が限定されるので文化圏を作れないというのが例えば高円寺、阿佐ケ谷、西荻窪との違いとして明確になってる。
そもそも私の投稿は「野田氏がリベラル」ということを一切前提にしないで組み立ててますから、「野田氏がリベラルか否か」はなぜ武蔵野市で2023年12月のダブル選挙以来立憲や地元のリベラル会派が推す候補者が勝てていないのかの説明にはならないんですよね。
そもそも「右傾化」が何を指すのか、そういう実態があるかは別の問題として、立憲民主党の党首である野田氏に右のイメージがあってそれが選挙にマイナスならば、もっと広範にその影響がみられるはずだし、特定の地域の得票結果を説明する要因としては弱い。
比較と時系列の観点が、かえって地域内の要因に着目する必要性を示している。
一点挙げれば、ここ数年間の武蔵野市のように、市長に再選した人が国会議員になって辞めた、都議に選んだ人がよその地域の選挙区から衆議院選挙に出るために辞めた、ということが相次げば、そちら側に投票する意欲が下がる可能性はあって、この要因は左右保守リベラル関係なく働きうる。もちろん地域内要因は他にもあると思う。
党首要因の影響がゼロだと決めつけるつもりもないのだが、たぶん地域内要因に取り組んだ方が勝てるようになる。
「ここにある一切は、小説の一登場人物によって語られているものと見なされるべきである。」―「彼自身によるロラン・バルト」扉表紙