BBCがロシア支配のIBAに対し、事実上名指しで非難する反デマ報道。トランスヘイトの原因を作ってきたイギリスのメディア機関が、唯一の良識的な日本語報道になるとは皮肉なものだ。
https://www.bbc.com/japanese/articles/c4ngn82wgxpo
”「IBAの突然かつ恣意(しい)的な決定の被害者だった」と述べた。
「IBAの2023年世界選手権の終盤に2人は突然、適切な手続きなしに失格とされた」とIOCは指摘した。
「この2人に現在向けられている攻撃は全て、適切な手続きなしに下された、恣意的な決定に基づいている」”
上記のような背景を踏まえたうえで、そのウマル・クレムレフが、カリニ選手(ケリフ選手に1分未満で試合放棄した選手)になぜか支払いをすると述べた??
IBAがやりたいことが、分断をつくりだすことであることがあまりにもはっきりしている。
IBAのウマル・クレムレフ会長は2日、同団体がカリニ選手側に10万ドル(約1500万円)を支払うつもりだと述べた。これは今大会の金メダリストへの賞金と同額で、半分はカリニ選手に、4分の1は同選手のトレーナーに、残りの4分の1はイタリアのボクシング連盟に支払われるという。
差別的言説の問題って、内面化された差別性に問題を見るんじゃなくて、メディアと情報伝達プロセスの問題として考えるほうが現実的だと思っている。というか内面の問題にするのは常に悪手で、そんな内面はあるかどうかもわからない(これは「差別主義者」「ヘイター」認定も多分同じ)。そうじゃなくて、具体的な言語の伝搬過程で中身のない言語が増幅されて、それが真実として受け取られてしまうことが問題で、それを制御する仕組みはないだろうか。
“共和党のトランプ前大統領(78)は2日放送のFOXビジネスのインタビューで、民主党候補指名を確実にしたハリス副大統領(59)との討論会について「やりたいとは思う。ただ、なぜ、やらなければいけないのかという疑問がある」と述べた。トランプ氏は、出馬を断念したバイデン大統領との討論会は「いつでも、どこでも受ける」と前向きだったが、民主党の候補差し替えを受けて、慎重な姿勢に転じている。”
こいつは本当に小学生だな。
トランプ氏、ハリス氏との討論会に慎重 民主党「怖がっている」 - 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20240803/k00/00m/030/069000c
「平穏に開催したい思いは同じ」 長崎・イスラエル不招待で広島市長
魚住あかり
2024/8/2 10:15 朝日新聞無料
https://www.asahi.com/articles/ASS8142BGS81PITB008M.html
平和都市でやってきた広島の市長やってて、デモ弾圧して「平穏」なんてことばが出てくることがおかしい
ケリフ選手の話、Wikipedia 読むとそうとう酷い話っぽくて、トランスジェンダーであるというのも酷いデマだったけど、そもそもXY染色体が証明されたとかテストステロン値が異常だったとかも、IBA(International Boxing Association)が言っているだけで実際の証拠も検査の仕方も提示していないで言っているらしい。ワシントンポストに「ケリフがXY染色体をもっているとかテストステロンが高いという証拠は出されていない」と書かれ、IBAは検査のやりかたは機密だとして明かさなかったらしい(2023年の失格騒動)。さらに2024年になって、IBAはまたケリフ選手や他何人かを検査対象として、「他の女性選手より優位性がある」と発表したが、またも検査方法は機密であるらしい。
こういうわけでさすがにIOCがキレてIBAを運営から外した、という流れのようである。ようするに、ケリフ選手が女性であるかとかないかとか、そもそもなにひとつ情報が存在していない。
https://en.wikipedia.org/wiki/Imane_Khelif
Chappell Roan, She is fine! She is Cool !
#Lollapalooza 、昨年は主役は New Jeansだったけど、今年はシャペル・ローン ( #ChappellRoan )だね。トリを務めなくとも、観客の熱狂が彼女のステージの熱さを伝えてくれる。
プロレステーマのステージに意標を付かれた。彼女は多分、すごくシャイな人なんだと思う。ドラァグクイーンだったり、自分をそのままさらけ出すのではなく、演じることで人前でパフォーマンスできるタイプなんだろう。
彼女が受け入れられる米国の観衆、若い世代はまだまだ大丈夫みたいだ。
今ってもうコールセンターで敬語は教えないからね。研修の項目にない。ちゃんと教えられる奴がいないから。代わりにビジネス用語という馬鹿みたいな項目がある。
「ここにある一切は、小説の一登場人物によって語られているものと見なされるべきである。」―「彼自身によるロラン・バルト」扉表紙