彼人がエアコンを常軌を逸した低温設定にするせいで冬より寒い思いをしている。
わたしライフタイムを通じて“歌が上手い”自己認識なんだけどほぼ100%の人が否定するんですよね。どうして…
閲覧注意 今日の出来事
ただでさえ、期末試験にレポートでやばいというか、色々人間関係というか、SNSに散乱するエゴと自己嫌悪に苛まれながら、とりあえず生存している中で、衝撃的であまりに惨い場面に遭遇してしまい、怒りと絶望を感じてしまったので、ここにそれらを書き記しておきたい。
先に言っておくが、これは自分のクソみたいな承認欲求を喚起させたいから書いてるわけじゃない。
これからする話は、命・尊厳の話だ。
そう自分に言い聞かせて。
7月15日(月)の朝、祝日なのに授業日でトホホとなりながら、いつも通り阪急の準特急の1両目(大阪梅田側)に乗って、途中の西院駅へ向かっていた。
その時の脳内は、質的調査論の調査報告書と社会調査論のテスト、他者との人間関係、親父との(省略)…、と目を瞑りながら、色々と思考がパンク状態だった。
「次は西院、西院です」
この自動放送でやっと正気に戻り、また目を瞑る。
いきなり急ブレーキとアナウンスが。
「急ブレーキです、ご注意ください」(正確ではないが記憶の限りこんな感じだった)
僕にとって、阪急京都線は通学路で、こういう時はいつも、踏切内の無謀な横断とか信号とかATSとかそんなので停まってたから、今回も「またかー」って気持ちだったが、次のアナウンスで衝撃が走った。
「ただいまこの電車、人身事故のため…」
一番後ろの1両目、しかも車両末尾の車掌側の席だったので、車窓/運転台側越しに線路を見てしまったた。
電車は、西京極駅を越えたところで停まっていたが、あまりにあり得ない惨状だった。
とても血の気が引いた。
紙はたくさん散乱し、よく見てると向こう50m先ぐらいに、線路の上に何か横たわっている。
もう言わなくてもわかるだろう。
しばらくすると、車掌と駅員?が救護用の持ち物?から持ち出した青のゴム手袋をし、例の場所まで行き、その横たわっている何かを、線路脇に移動させていた。
その何かが被害者だったことは、車両に帰ってきた車掌の防護無線でのやり取りを聞いてわかった。
そして、亡くなったことも夕方のニュースで知った。
そんな状況を目の当たりにして、僕は言葉を出すことも思考もできなかった。
その衝撃的な出来事をなんとか受け止めようと、ただただ呆然とするしかなかった。(1/2)
閲覧注意 今日の出来事
その時だった。
「えー人身事故やん」
「授業どうしよ、連絡しな」
「あれ、⚪んだんかなー(笑)」
そんな会話が聞こえてきた。
それだけじゃない、周りにいる人達は教科書を開いていたり、スマホを見ていたり。
そして自分も、1限目の授業に出れないと思い、遅刻・欠席の連絡を入れていた。
でもふと思ってしまった、これは狂ってるんじゃないかって。
何トンもある車両が人を轢いてしまい、ただただ絶望という地獄が、目と鼻の先にあるというのに、なんで彼らは笑えているのだろうか。
なんで車内にいる人たちは平然といれるのか。
唐突に怒りが湧いてきた。
想像できないのか?
線路上に紙が散乱していた。
50m先に倒れてた。
きっと、何か追い詰められてたかもしれない。
あれが友人だったら、同じ若者だったら、いや同じ人間なのに。
どうして、何も思えないのか。
あの場面こそ、この社会の神経が麻痺している証左なのではないかと。
大勢の大衆が「痛み」や「悲しみ」すら感じない、いや感じているがそれを押し殺しているのか、そんな不気味な雰囲気に包まれていた車内の光景を、自分は一生忘れることはないだろう。
何分か経って、突然立っていた女性が倒れ込んだ。
他にも体調不良者が数人いた。
それほどの出来事だった。
でもはっきり言いたい。
間違いなく狂っている、この社会は。
帰りの電車で手を合わせてきた。
俺は忘れない。
そして、SNSでは今回の事をああだこうだ言ってる連中がいる。
ホームドアとか「賠償請求」とか、「祇園祭の日に」とかああだこうだうるさい。
そういう問題じゃないだろ。
どうして、追い込まれている人が出てきているのか、考えられないのだろうか。
どうして、「自⚪︎」する人を責めることしかしないのか。
これは個人の問題ではないはずなのに。
最後に、あの場面で笑ってた人たちはもちろん、尊厳を蔑ろにしていた人たちを、俺は許すことはしない。
そして、こんなこと書いている自分も狂ってる。
さっきから書いている最中も、涙が止まらない。
とにかく生存していくしかない。
(2/2)
「ここにある一切は、小説の一登場人物によって語られているものと見なされるべきである。」―「彼自身によるロラン・バルト」扉表紙