歌がバカ上手いと言えば夏川りみどこ行った?
「ウォーク左派は抑圧的な体系を作り、個人に厳格な理想に完全に合致できないという罪悪感を絶えず抱かせる」というけれど、実際は左派対他者だけでなく、左派(の個々人)自体も「(自らが課した)厳格な理想に完全に合致できない」という「引け目」みたいなものがある、というか過剰にその(もしかしてある段階までは抱くのがいたって問題ないかもしれない)「引け目」を意識しすぎてしまう、みたいなとことかないのかな、と思ったり思わなかったり
ポピュリスト右派とウォーク左派の共謀【寄稿】(ハンギョレ新聞) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/9e9d6a4c5820eed0b2c4791d4b278b203eae5759
一橋大アウティング事件については松岡宗嗣さんの『あいつゲイだって アウティングはなぜ問題なのか?』もうまくまとまっているしアウティングまつわる法的問題も分かりやすく書かれているので気になった人はぜひ。Amazonのリンクで悪いけど貼ります。
https://www.amazon.co.jp/dp/4760154272?ref=cm_sw_r_apin_dp_CRR38DB0Q92BRK7BFFF4&ref_=cm_sw_r_apin_dp_CRR38DB0Q92BRK7BFFF4&social_share=cm_sw_r_apin_dp_CRR38DB0Q92BRK7BFFF4&language=ja-JP
なぜ政治三流なのかというのは、野党がだらしないからではないですよ。
野党は国会で与党の不祥事や失政を指摘するのが仕事で、それは良くやっています。
ただ、メディアが握りつぶしたり、事実歪めて野党の利益にならないよう、日々不祥事や失政が大衆に伝わらないように コントロールしているわけです。
野党は与党がとんでもない無茶苦茶やっていたら、それは厳しく指摘しますよ。
それが本来の役割のひとつですから。
でも、メディアは一部を切り取って「怖い」というイメージを流すわけです。
本来伝えるべきは、与党の不祥事や失政がどういう内容なのか、それが国民にどんな損失をもたらしているか、なのに、そこを伝えずに「野党反発」「野党がだらしない」「怖い」「反対ばかり」みたいなコメントを延々流しているわけです。
裏金事案とかもそうでしょ?
安倍派裏金→派閥解散、みたいに与党の言い分垂れ流して、幕引きして。
派閥の解散は裏金にはなんの抑止効果もありませんよ。
メディアが野党の仕事を毎日妨害して、選挙では「怖い」とか言ってるわけで。
自作自演なんですよねこれ。
自分の理解出来ない対象としての外国籍者に対して、殊更「社会契約」として在留国の法令や義務の遵守を要求する言葉とその賛同者の多さに疑問を覚える。
納得がいかない。
一般的な理解としての「社会契約」と語られる「社会契約」とは違うような印象があるが、それはどうなのか。
仮にその語られる「社会契約」が妥当なものだとして、その語られる「社会契約」は、日本国籍者は国なり政府と明文にて契約を締結しているのか。どのような契約形態なのか。日本国籍者と外国籍者で契約形態が変わるのか。変わるのであれば変わる事を是とするのか。
そもそも日本国籍者と外国籍者とでは擁護される自由・権利が違う。一般的に言われる社会契約説における「社会契約」とは、権利や自由が侵害された時には契約者たる国民は国・政府に抵抗する権利があるはず。外国籍者にはそんなものは無い。とすれば、外国籍者と日本国籍者とでは契約内容が大きく違う事になる。大きく違うすなわち大きく見劣りするわけだが、大きく見劣りする者に対してのみ、その履行を誓わせる事になるのか。それは妥当なのか。
納得が行かない。
カッコいいい。耳障りの良い言葉。既存の言葉に独自の意味合いを持たせてそれっぽく言っているだけなのではないか。言葉を壊しているだけではないか。
この点において、安倍晋三のやり口となにが違うのか。
リベラルがそんなものに賛同するのか。
そんな思いが強くなっている。
「ここにある一切は、小説の一登場人物によって語られているものと見なされるべきである。」―「彼自身によるロラン・バルト」扉表紙