あるとき、大学で授業が終わった後、一人の女性の学生さんが質問というか、相談に来られた。
何分かやり取りをしたのち、非常に直接的に「先生、今から私とセックスをしましょう」と言われて大変驚いた。
口調や状況から察するに、その学生さんはからかったりとかふざけたりとかではなく、真剣に申し出ておられるようで「私が抱えている問題は先生とセックスすることで大半が解決するのです」と言い、その理由を整然と説明された。
自分はそういうことはしたくないというのと、教師としてこの学生さんを心身共に無事な状態で帰宅させねばならず、また、来週以降も授業に出席できる状態を保たねばならない、というのと、考えることが多過ぎてパニックになりそうだった。
そういえば、キッズの親やいとこ家族にもおれの梅干しは広まったらしく、みな梅干しを渇望しているらしい。
もううちの梅干しはないよ(嘘)と言っているので、とうとう今年梅干しを漬けるワークショップ?を開くことになった。いやみんなに梅干しの作り方を教えるだけなんだけど。
正直めんどくさいけど、これでうちの梅干しが守られるんなら安いもんよ。
何をいまさら。埼玉県警はいい加減にレイシストとの癒着を断ち切れ。お前らはヘイトの同罪である。
【速報】「ザコども」発言は埼玉県警職員 #47NEWS https://www.47news.jp/10814807.html?utm_source=dlvr.it
@minna_iiko むしろ中国は世界の緑化にすごく貢献してるんですよね。
なかなか夢に出てきてくれない。きっと他の生き物の形をして出ているので僕は気がついていないのかもしれないと思う。
亡くなった愛犬の幽霊を見る飼い主は多い。その超常現象に悲しみを癒す効果があるかもしれない - カラパイア https://karapaia.com/archives/52331114.html @karapaiaより
AIに故人の人格を移してあたかも本人であるかのように扱うことになんとなくの違和感を覚える人も多いけど、しかし、よくよく考えれば人間は亡くなった人を何か別の物に置き換えて、それを故人として扱うことで自分を慰めるという行為をし続けてきているのではないだろうか?(お墓だったり、位牌だったり、写真も本人ではない)
ただし、それがAIに置き換わると違和感を覚えるのはあたかも、それが故人の意識をそのまま引き継いで対話するような素振りを見せることからだろう。
もともと故人を何か別の物に置き換えるという行為はその人物がもうここにはいないということを受け入れるためのプロセスとして存在するのだろうけど、AIに求めているものがその人物がもうここにはいないということの否定である場合には、違和感はそういうところから生まれるのではないだろうか。
わたしも日々、新しい服とか靴か散財しているように見えて、実はもうここにいない人のことを、もうその人がいない事実を受け入れるためのプロセスとしてそれらの物に置き換えているところがある。福沢諭吉はもうわたしのもとにはいない、その事実を受け入れるために。
リアル対人でも全然男女の別なく楽しく下ネタおしゃべりしたいんだけども、性暴力や一方的な搾取と下ネタの区別がついてない奴と喋るのだけがしんどいんだよな 喋り出すまでわかんないし 絶対そういう奴じゃないから大丈夫、っていうそもそもの信頼関係がないと安易な下ネタは危険 あともっとそもそもの話どんなものでも下ネタ絶対無理な人もいるから難しいとこあるよね
「ここにある一切は、小説の一登場人物によって語られているものと見なされるべきである。」―「彼自身によるロラン・バルト」扉表紙