昨日、Twitterで見かけた投稿。お母さんが自分の子どもと遊びが退屈でおもしろくない、って言っていた。ごっこ遊びとかね。いろいろな人が「私も、私も」って反応していて、ものすごい違和感を感じた。
ずっと考えていたんだけれど、ああ、この人たちはもしかしたら、どんな場面でも、自分が主人公になりたい人たちなのかも?と思った。
そりゃあ、自分が主人公だったら、大人は、例えば、機関車トーマスでは遊ばないし。
で、コメントの中では、アカデミックな人たちが「いや、私は子どもの言語とか毎日おもしろく聞いている」とかがあって、そういう人たちは子どもとの遊びが楽しいって言っている。
つまり、客観的に状況を判断している人たちよね。
学者だけでなく、これは誰にでもできると思う。
自分の人生だけど、周り含めて、自分をその中心に置くことだけを無意識のうちに求めてしまうのはやっぱり無理があると思う。ある時は脇役に徹することも必要なんじゃないかなぁ、と思う。
でも、そういうことを無意識にも求めてしまう人たちは、どういう精神状態なんだろう、といろいろ考えてしまう。いいお母さん、お父さんを一生懸命しているのに、こういったことで自分はなんて狭い人間なんだ、と思っていることも感じられるしね。
@eccochann 私は彼女が「子どもと遊ぶのはつまらない」という吐露に、ああ、視点が固まり過ぎているのでは?と心配してしまったんです。
えっこさんのお連れ合いからそういった刺激を得られたことって、素晴らしいことですね。そして、育児から新しいキャリアへつながるって、すごいことですね。❤️
@eccochann この元Tweetは連続したもので、心情をかなり詳しく書かれていました。でも、おっしゃる通り、感情は流動的で変化も激しいですよね。私のように言葉にひっかかってしまうと、あっという間につい深く考えてしまいます。
えっこさんにそんな風に思っていただいて光栄です。私もTwitterでたくさんの方々とお知り合いになれて、実際にお目にかかった方々もいらして、なんて素敵なことなんだろう、といまだに思っています。❤️
@minekoyoshimura みこさんのお気持ち凄くわかります。でもツイッターって、その時瞬間的に感じた事を即座に投稿できる仕組みなので、ある意味その方がその視点で止まってるとは限らないかもしれません。その後、考え直して遊んだかもしれないし、ただ単に一瞬の迷いかもしれない。人間の感情は流動的なので、一瞬一瞬で変わり得るし、実際はそうじゃないのかもしれない。見てる側の感情をかき乱す仕組みなのがツイッターなので、私はもう反応するのも参加するのも辞めました。
お褒めのお言葉、ありがとうございます!広い視野で人生を見つめられるようになったのも、みこさんを始め、経験と知識抱負な方達と繋がり交流できたからだと思います。ソーシャルメディアはそういう良い面もあるので、そこだけに焦点を当て上手く付き合って行きたいですね。