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実家処分でガメてきた親のラジカセで、天袋に仕舞ってた古いカセットを何年ぶりでしょーかね、聞いてるよー。とりあえず矢野顕子(笑)。

疲れているんだよ。。なんか。

めでたい/めでたくないみたいな概念区分があまり好きではない。なんというか、単なる好みなんだけど。主体的な意志を超えたとこに、均質な集団にとって善でありその根拠を問えない「気分」があって、みんなに強いられる感じがね、もぞもぞするの。

でも、あらゆる人のしあわせを祈ることにはまったく何の異論もないので、みなさまのよい一年をお祈りいたしております。あけおめー。 :blobcataco:

ちなみに、何となくTVをつけたら実業団駅伝だった行き掛かりで、脳内リピート再生が始まってしまった新年の2曲目は、ラップパートがいかすコモディイイダのテーマ曲です。イイダのある町最高なんでしょうか、よく店内で自問しています。。

年末休みでミシンも引っ張り出してたが、ダーリンではなく単にオイラが自分用の繕いものをしてただけなので、家中が揺れても、別にお正月の赤いコール天のズボンは出来上がらないのであった。。

立派な老人ホームの前にランボルギーニカウンタック停まってた。いろいろ私には想像のつかない暮らしがあるんだなあ。年末のお見舞いで、親にカウンタックで会いに来たんだね。。

@noki104
そうですね。多感な頃の自分に「個性なんていう幻想に拘泥しても仕方ないぜ」なんて言ったら原稿用紙百枚分くらい反発を食らいそうですが、今では凡庸であることとの折合いの付け方もわかってきました。

自分が無意識にその中で生きている物語を読み解くこと、そして果たしてそれには回収されない実存みたいなもののあるやなしや、もう瞬発力はないので、後はひたすら地味に考えていこうと思っています。駄弁お目汚しいたしました。。

バス来てる…って全力疾走、乗れてよかったが息切れた。。

@noki104
近代的な意味での「自我」が主体的な語り手になるのも、小説が成立してからの話で、それ以前の物語は、共同体の歴史や価値を共有するための仕組みなわけで。そもそも個性なんていうのも、後世になって仮想的に構成された概念みたいなものですよねー。

どうも歳をとると余計に、個人の苦悩とかより、オバケやきつねが悪さをするといった物語で世界の秩序を理解するような心象のほうが、俄然気になります(笑)。

自分の機嫌をとるために、「ダイナマイトとクールガイ」を聞いて気休めして寝るなりー。むにゃ。

円安だろうが物価の上昇であろうが、別に天災でもなくそれを決めた人間がいるんだから、責任の所在や意思決定の公正さを批判的に検証しなければいけないのに、ぼんやりと受動的に今年の世相みたいに消費して年忘れして流してしまうのも嫌ですわね。。

@mario_tauchi
ヒジョーにモンダイの多い表現ではございますが、年末恒例の「おせち奴隷労働」と呼んでおりました。引退上等です!

プールに行った友人に買い忘れた鷹の爪頼んだけど、料理しない人が買い物成功するかどうか、面白がりつつ当てにせず待っている。母が動けなくなってからの父のお使いも、何でそうなった!な間違いのヒット作が多数あったっけ。

何故間違ったかという理屈っぽい言い訳も結構面白いことが多いので、子のおらん私にはほとんど「はじめてのおつかい」的なエンタメになってるかも。

丸二日間台所に拘束されて5段のお重を作るという、かなりハードな年の瀬を母に強いられていたが、彼女も無事鬼籍に入り、気楽に好きなものだけ自分と友だちのために少量仕込むのん気な年越しになった。

音を上げて早々に戦力外になった兄の奥さんと、おいしいおいしいと平らげてお昼寝する弟の奥さんと、正月にはもうヘトヘトで朝から飲んだくれる実の娘と、上げ膳据え膳であーだこーだ勝手なこと言ってる男連中と。。

もうそういう時代でもないんだから、母のお節への執念は、別に誰も継ぐ必要もないのさー。

蛍光灯が切れたので買い物しようと町まで出掛けたが、ドトールで一服してサボってたら醤油もいるんだったと思い出しました愉快なサザエさん。。

ようやく年内の仕事も終わって、ミシン出てる間に、古タオルで寒い家用のナイトキャップ作ったよ。寒すぎなんだよ。。

図書館の順番待ちでようやく「シンクロと自由」。わけ分からなくてイライラする年寄との不毛なコミュニケーションの罪悪感をリアルに検証して、泣いたり笑ったり。

不登校ごちゃごちゃ世代のお話。笑える話も悔しい話も。なるべくルサンチマン少なめで、年長者は明るく進めたいところ。

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