短文投稿系SNSは、ある程度パッケージングしたコンテンツのつもりで発信している場合と、コミュニケーションのつもりで生身の自分を発信している場合があって、その両者は厳密には切り分けられないとはいえ、「他人をコンテンツとして扱う」ことに対して雑で無神経な人ほどバズりやすくて人気者に見えちゃう構造がいろんなキモさを生んでるよな〜と思います。
何かの意見を引用するとき、対話を目的をしてる人ほとんどいないもんね。自分のギャラリーに対してのアピールにしか使われてない。
それで強めでキャッチーなフレーズが出てくるとあっという間に伝播して、それが問題を前景化したり理解させやすくする良い効果もあるんどけど、その反面そのフレーズを使いたいがために引用できるような他人(と書いてコンテンツと読む)を見つけ出して浅い理解で強い言葉をぶつける…みたいな人たちがどうしても出てきてしまう。ギャラリーと同じ意見で盛り上がるのは楽しいですよねわかりますなんだけど、エクストリーム化していくうちにその構造に飲み込まれがちに見えるのが不毛だしおっかないなと。飲み込まれちゃった人、引用先もギャラリーもどっちもコンテンツにしか見えてないっぽいしな。
そういう場所だと自分をコンテンツ化することにも自覚的でないと、とんでもなく喰らっちゃったりするし、ウケるのは「生身っぽさを出しながらほどよくパッケージ化されたコンテンツ」だったりもするから、まあ、難しいよね。
自覚的でうまくやってるつもりでもど下手クソな人だっているし…。
こっちはコンテンツのつもりでやってるんだから生身を出してこないで!みたいのもあるしねえ。「FF外から失礼します」がウザがられるのもそうなんじゃないかな。あれを言わずにいられないのって多少なりとも人間扱いしてくれてるってことでは?って気がするんだけど。まあ、よく知らん人といちいち生身の人として接するのは面倒ではある…人間扱いしてくれる人が「面白い人(SNSゲームのプレイヤーとして)」とは限らないし…。
そういう、生身/コンテンツの匙加減って人にやって無意識に使い分けられてるものだから、どうしたって齟齬は生まれるし、気を使わない方が楽だから、どんどん雑になっていくのは当然の流れっぽいんだよな。