Twitterの荒みっぷりがやべーやべー。 

最近のあの荒み、なんか個々のトピックにさしたる意味はなくて、みんなそろって「私にやさしくしてよ」「さびしいのはいやだよ」といってるように見えるんですよね。
ずいぶん雑に何か言ってるようで何も言ってない括り方すんじゃねーかって感じだけど、そこまで的外れではないと私は思っています。
私にやさしくしてといえないから攻撃する。
さびしいから党派性に安易にのっかっちゃう。
自分の中の本当に言いたいこと言うべきことを掘るより前に、何か言いたい、これなら言える、って、どっかで見たようなロジックを借りてきて140字映えする強めの言葉で言い散らかして仲間にアピールする、みたいな。
なんだっけ、人がいちばん自信を持って言えるのは人から聞いた話だ的なことをどっかで見た気がするんだけど、まさにそれだなと。
自分の言いたい言葉(それは本当に言いたいことではなはなく、どっかで拾った「言ってみたい言葉」)が映えるシチュエーションを投影して、借り物を自信満々にぶん投げて、本質がないままTwitter構文でイメージ合戦をする。
そんなだからまあ勇み足も多いし、敵は増える一方だし、そもそも無意味なのに、ただめんどくさくてギスギスしてうんざりするようなものだけが残るっていう。
大変だこりゃ。

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だからあんまり真に受けちゃいけないと思うんですよね。 

その言葉に本当の目的なんか乗っかってないんだから。
「こっちを見て」以上の意味なんかないんだから。
それなのに目先のごまかしや言い訳やすっとぼけをいちいち大げさに取り沙汰して、どんどん本質から逸れて、「何かを言いたい」という意志だけが残って、最終的によくわかんないデマに変質してどっかに回収されていく。
すっかり変質しきったそれがまた取り出されるときには「何かを言いたい人にとって都合のいいツール」のひとつに過ぎなくなっていて。
ワー、虚無。すんごい虚無。
恥知らずだけが勝つ仕組み。
真に受けちゃうからこうなるんだよ!!!
……と言うても詮無い話だ。
だってみんなさびしいんだからなー。
さびしい人はやさしいものに惹かれちゃうからなー。
今いちばん人にやさしいものが現実じゃなくてデマだってことだ。
飲めは飲むほど喉が渇く塩水みたいなやさしさよ。
さびしさは正直でしか解消できないのになあ。
そろそろ正直が流行ってもいいと思うんだけどなあ。
でも自分の心に正直になるってめちゃめちゃ高等スキル。
自分は自分にすらウソをつくからね!
(だからデマにだまされる)
せめて建設的に、荒みを見たら、どうしたらここから正直と親切を引き出せるかを考えてみるとしますかね。

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