判決を批判するのはいいとしてその前にまず判決の詳しい内容を知っておくべき、仮にそれができなかったとしても裁判官への個人攻撃はよくない、ということを話しても(特に妻は裁判制度について人より多くのことを知っているはずだし、袴田事件や和歌山カレー事件への関心も人一倍高かったはずなのに)聞き入れてもらえないのが悲しかったし、会話の中で、冤罪が問題となるのは死刑の場合であって、その他の場合はことさら冤罪を問題とすべきではないという趣旨の発言があり、それが本当に信じられなかった

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無罪判決を出した裁判官を弾劾訴追する署名、何がつらいって、妻もすでに署名してることなんだよな

問題は力であり、しかも通常の場合それと識別することのできない、いわば浸透圧のような力であって、それが積極的か受動的か、自発的か従属的かといった問題は、後から来るものに過ぎない

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あらゆる全体主義に反対する 善良といえるものも含めて そういう性向が自分にはある

現実と何の関係もないものを書き、それが結果として現実を描くことになればいいと思っているのだが、いまは特にパレスチナとイスラエルのことが意識の大部分を占めているので、まずはそれを振り払うことに努めなければならない

何がなんだかわからないが、ノベルゲームの原案とシナリオを書くことになりそう

最近ロルバーンのノートを買って、そこに思いついたこととか日々の出来事の記録とか読書メモとかを書いているのでインターネットに書くことが何もない

きちんとした構図で被写体が強調されているとか、露出が合っていてハイライトからシャドーまでのトーンがしっかり出ているとか、奥行き・立体感が感じられるとか、
そういう一般的な(基本的な?)基準をどれだけクリアしているかという観点から評価されるのが「上手い写真」で、
それに対して「好きな写真」は、写真の個性と鑑賞者の感性の適合の度合いによって評価されるものだから、
まずは一般的な基準とは無関係に、個性的なものであればあるほどよい、という説明がまず思い浮かぶけど、
「上手い写真」を撮る人の写真って、往々にして「好きな写真」でもあり、それが悔しいんだよな~

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ぼくの中には「上手い」とは別の評価軸もあって、↓のような写真は、「上手い」かどうかはわからないけど好みではある

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上手い下手と言っても、今のところ感覚的なものに過ぎないんだけど……自分が最近撮ったもののなかでは、↓は比較的「上手い」ものだと感じられる [添付: 5 枚の画像]

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別に写真で評価されたいわけではないんだけど、他人が撮った上手い写真を見ると、くやし〜って思ってしまうな

東京、訪れるたびにますます嫌いになる街

きのう大学の元同期と学部卒業ぶりに会って、二人で舞台を見たんだけど、終演後に感想を話しながらお互いに近況報告をするなかで、(ぼくの近況には妻がたくさん登場するので)妻の話をいくつかしたところ、警戒されていると思ったのか彼女が別れ際にふと「不倫はしないので、と伝えておいてください」と言ってきて、不意をつかれてちょっとドキッとした

「体格は大きいけれどもよく鍛えられ、引き締まった身体」ではなく、もっとだらしなくたるんだ身体や、くまのある目やぼさぼさの髪、しみやにきび、できものだらけの肌、虫歯だらけの歯が、「美しい身体」として広告にたくさん登場するようになるといいなと思う

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プラスサイズモデルのように、広告に登場する身体が特定の理想化された美の基準によって著しく限定されていることに抗議し、そのような偏見に囚われない広告を製作する取り組みにはそれなりの意義があると思うものの、
とはいえ現在のプラスサイズモデルの身体も、やはり特定の理想化された美の基準によって限定されている気がして、
それは西洋的、あるいはアメリカ的な価値観において非常に高い価値を持っているように思われる、「健康的な身体」という基準であり、
プラスサイズモデルの身体は、たとえいわゆるぽっちゃり体型でも、あるいは肥満体型でも「健康的」であることはできる、という(特にアメリカ的な価値観においては自明でない)ことを示すものではあっても、
現状、運動の理念として「健康」と「美」を分離するまでには至っていないようにも思える。
そうした事実から、逆に西洋的な価値観における「健康」というイデオロギーの根深さを見て取ることもできると思う。

きのう久しぶりに見たマッドマックス、不健康な身体がたくさん画面に映っていてよかった

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