生成AI関連の記事を読むことが多いんだけど、以前から結構な頻度で、「AIが学習に使える情報を制限すべき」的な主張を見かける。だいたいそういうのは、他人の知的財産権を侵害するようなことに対する懸念から言われている印象なんだけど、だとしたら問題はどう学習するかではなくて、学習したものをどう使ってなにを生成するか、だと思うので、学習を制限するのは違うと思う。
公開情報であれば入手も学習利用も自由で、それを犯罪に使ってはならない、つまり人間に対するのと同じ制限にするのが妥当に思う。
既存の漫画やその他の芸術作品について、酷似した絵が生成される懸念から学習利用を制限してしまえば、その情報を知らないAIは、例えば視覚障害者が依頼した画像解析・説明において、その漫画や作品については全く説明できなくなってしまうだろう。
そういう制限は違うのではないかと思う。
アクセシビリティーの話、技術的に面白いことはわくわくするけど、それ以外はもうなんかわくわくすることはなくなってしまったなあという感じがする。もちろん僕の頑張りが足らないという部分があるのは分かってるけど、それにしたって、当事者が四半世紀声を挙げ続けてもこんなもんかという落胆というか、悲観というか、あきらめというか、そういう感覚が支配的になってきてる。
技術的に面白い話にわくわくするのは別にアクセシビリティー関連に限った話ではないから、もう僕は本当にそろそろアクセシビリティーに首を突っ込むのは止めるべきときなんだろうと思う。
そもそもアクセシビリティーどうにかしたい、というよりも、アクセシビリティーがどうにかなった社会で自分になにができるのか挑戦したいとずっと思ってきてて、年齢的に、本当にやりたいこと見つけてそれに取り組まないともう間に合わないんじゃないかという気がする。
幸か不幸か、最近はアクセシビリティーのコミュニティーでもすっかり陰が薄くなってきたので、そろそろ良いタイミングなのかもしれない。
「厳しい審査を経て永住許可を得た外国籍住民は、日本で働き、子どもを育て、日本を終の棲家と決めて暮らしている人たちです。
そのような人たちは最大限、日本国籍者と同等に扱われるべきです」
明日締め切りだそうです。
Petition · #永住許可の取消しに反対します - Japan · Change.org
気に入ったのでT字路sについてあれこれ調べてたら、「これさえあれば」がメタモルフォーゼの縁側の映画版で使われていて、芦田愛菜と宮本信子がカバーしてる、というのを見つけて、YouTubeにアップされてたのを聴いてみたんだけど、これはこれですごく良かった。
芦田愛菜の歌がうまくてすげえなと思った。
話はちょっと違うけど、誰かがどこかで「芦田愛菜がおばあちゃん役を演じるのを見届けられないであろうことが残念」みたいなことを書いてたんだけど、本当にそうだなと思う。
彼女が今の僕と同じ年齢になった頃、運が良ければ僕もまだ活きてるけど、それよりあと15年とか20年とか後の彼女の演技を見てみたいなと思う。いくら運が良くても、この不健康な僕がそこまで活きてる可能性はかなり低いと思う。(活きてても認知症になってたりしそうだし……。)
たまたまラジオで聴いて初めて知った、T字路s、難局か聴いてみたけどめちゃめちゃ良いな!!
ユニクロのオンラインストアがどうにも手に負えなかったので、初めて無印良品のサイトを使ってみた。
アクセシビリティー的に問題がないわけではなくて、一部ちょっと難易度が高いなと感じる部分はあったけど、基本的には問題なく使えたので、買いたかった衣料品を注文した。
のは良いんだけど、ついうっかり、前から気になってた無印のカレーを物色してしまって、気が付いたら気の向くままに7種類くらい注文してた。で、さっきそれがまとめて届いた。
考えてもみれば、以前だったら自分で識別できるように似たようなパッケージのものは頼まないようにしてた。
もし運良く内容量が明らかに違うものがあれば、そういうのは重さや大きさを比べれば判別できる可能性が高いから同時に頼むくらいのことはしてたけど、基本的にはレトルトのカレーを何種類も頼む、なんてことは絶対にしなかった。
けど、スマホのOCRの進化で、そういうこと気にしなくても良いレベルになったんだなあという、隔世の感がある。
実際届いた者の判別は5分もかからずにできた。
そして以前なら1度判別したらちゃんと整理して分かるように置くとかしたけど、今や食べる時にまたOCR使って探せば良いや、くらいな感じになってるのは、たぶん3年前にも想像してなかったことだと思う。
外交的にはまずい発言だとは思うけど、まあ間違ったこと言ってないよなあと苦笑してしまった。
バイデン氏、日本は中露と同じく「外国人嫌い」 関係に水差す発言 | 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20240502/k00/00m/030/331000c
一応こちらでも。
「2023年春の調査から読み解く視覚障害者のデジタルライフ最前線」期間限定アーカイブ配信のご案内 | 日本視覚障害者ICTネットワーク https://jbict.net/update/at-survey-03-event-archive
作品に関する部分も興味深いのだけど、記事タイトルにもなってる最後の部分は完全同意。
「配慮」と言ってしまうと、そこに「配慮する側」と「配慮される側」が生まれてしまって、結果として力関係ができてしまう。
reasonable accommodationは、相互の話し合いによってその状況に置いて合理的なやり方を見つけていくプロセスだと思うので、「調整」は比較的正確な言葉だと思う。もしかすると他により良い単語がある気も少しだけするけど、今まで聞いたり自分で思いついたりした中では、とりあえずこれが最善な気がする。
「合理的配慮ではなく、合理的調整と呼ぶべき」芥川賞受賞作「ハンチバック」著者、市川沙央さんインタビュー - 成年者向けコラム | 障害者ドットコム https://shohgaisha.com/column/grown_up_detail?id=3038
ちょっと前にここにも書いたけど、Logseq使い始めて、そして使い続けてる。
まだ運用方針が決め切れてない部分もあるし、蓄積されてる情報量がそんなにないから面白い活用には至ってないけど、こういうのはそこそこ長く続けてみないと見えてこないことが多いと思うので、しばらく使い続けてみるつもり。
エディターのアクセシビリティーは褒められたものではないけど、編集を外部エディター(vscode)でやれるようにするプラグインなんかを使えばそんなに苦にならないし、GitHubのプライベート・リポジトリー経由で複数端末間の同期もできるようにしたから、思いついたことを思いついたタイミングで書く、というのもそこそこできるようになった。
面白い事じゃなくてもなにかあったら/考えたら書いておこう、という意識を持ってると、それだけでものの見方とかが少し変わる感じがして面白い。
中年に突入した、男、全盲、下手の横好き。
ICTのアクセシビリティーに関連することに取り組んだり取り組まなかったり。