数年前に稲田朋美の本を読んだら、やたらと「多様性」とか「寛容」を唱えて、そのへんをウリにしたいんだなということがよくわかったが、結局は「では、私は何を守るのか。日本の国柄をなす、圧倒的に美しい伝統だ」「その根底に流れているものは2000年以上続いてきた皇統」「お父さんをたどれば神武天皇まで続くという、世界で唯一の圧倒的な系譜の重み」……というところに収まっているという、〈天皇の下での多様性〉だった。
これを『臣民の道』(昭和16年)では「萬民各々その所を得る」と表現している。こういう理屈を歴史的に見てきているので、「多様性」「寛容」というワードがありさえすれば「おっリベラル?」ってならないようにしよう。
25年くらい前の同僚となぜかお茶してて、「2年くらいを目処に仕事辞めるんだって?」と聞かれ、「ううん、いろいろ行き詰まっててねえ。去年だったか博士課程も単位取得退学したんだけど、やっぱりなかなか進めるのは難しかったんだよねえ」みたいな会話をした、というのをぼんやり思い出してたんだけど、よく考えると俺そもそも博士課程入ってないし、あああれ夢だったか、と気づいた。
ってことはあの元同僚にも25年前以来会ってないわけで、ううん、元気かなあ。当事は世話になったよなあ。などと思ったのであった。
Green Fundingのメルマガみたいなやつで流れて来たこれ、機能的には良さそうなんだけど、見た目的にどうなんだろうか。
支援してる人が全然増えてないところを見ると、ちょっと尻込みしてしまうな。
https://greenfunding.jp/gemini/projects/8031
災害とか紛争とかがあればもちろんそうだし、そういうことがニュースになっていないときでも、難民支援とか障害者支援とか貧困に関するものとか、僕には直接的にできることはほとんどないけどどうにかなって欲しいと思うものはいっぱいある。
唯一といってもいい、僕にもできることは寄付なんだけど、もちろん、そういうものに優先順位を付けるなんてことはなかなかできなくて、結構な頻度で寄付先を選んでは考え直して先延ばしにする、みたいなことを繰り返してる。そしてその度に自己嫌悪みたいな感覚に支配される。
1つの取り組みに寄付できる額は少なくなっちゃうけど、決まった金額を定期的に、毎回1団体ずつ順番に寄付していく、みたいな形が良いのかもなあと最近は思い始めてる。
それで寄付先リストアップしてみたんだけど、そうしたら1年に1回も寄付できないところとかが現れてしまって、それもなんだかなあという感じ。
稼ぎの少なさを呪うしかないという結論に達しつつある。
ちょっと気を抜くとすごい無気力状態になりそうな危うさをここのところずっと感じてる。
たぶん本気で転職先探すなりしないといけない時期なんだろうな。
基本的に信仰心がないので、初詣というものを全然しないのだけど、とはいえそういう行為に否定的な立場というわけでもないので、土地の神様に挨拶くらいしても良いかなと思うことがある。でも、神社本庁に関わってる神社は避けたいと思うと、結局どこに行けば良いやら全然分からなくて、もう久しく初詣どころか神社に参拝するということをしてない気がする。
普段自宅ではラップトップにUSBのスピーカーつないで使ってるんだけど、今まで使ってたやつがどうもどこかで断線したっぽくて認識しなくなってしまったので、新しいのを手配して使い始めた。
ところまでは良かったんだけど、なんか再生される音が微妙に低い気がして(実際低かったと思う)、いろいろ調べてみたところ、どうもOSが48khzの再生ディバイスを想定してるのに再生ディバイス側では44.1khzで処理してる、みたいな感じっぽいという結論にに至った。
けど、他のディバイスならサンプリングレートの設定できる所になにも選択肢が出て来なくて、そもそも今どういう設定なのかすら分からず、もうしょうがないから別の製品を探して買うか、ということにして注文した。
その直後、なぜかPCの内蔵スピーカーが異音とともになにも再生しなくなってしまって、ドライバーの再インストールしたりしてどうにかこうにか復活させる、なんてことが起こり、解決語USBスピーカーの問題も解決してしまったっぽくて、さっき注文したやつキャンセルした。
新年早々なんだかなあという話。
来年は、来年こそは、自分がやったことが何かしらのポジティブな変化につながっていることを実感できるような仕事をしたい。
それは自社のプロダクトのアクセシビリティーが改善するというのでも良いし、その結果もっと大きな変化につながるというのでももちろんいいし、それ以外のなにかでもいいんだけど、ともあれそろそろ身の振り方をマジメに考えないといけない時期なんだと思う。
中年に突入した、男、全盲、下手の横好き。
ICTのアクセシビリティーに関連することに取り組んだり取り組まなかったり。