気に入ったのでT字路sについてあれこれ調べてたら、「これさえあれば」がメタモルフォーゼの縁側の映画版で使われていて、芦田愛菜と宮本信子がカバーしてる、というのを見つけて、YouTubeにアップされてたのを聴いてみたんだけど、これはこれですごく良かった。
芦田愛菜の歌がうまくてすげえなと思った。
話はちょっと違うけど、誰かがどこかで「芦田愛菜がおばあちゃん役を演じるのを見届けられないであろうことが残念」みたいなことを書いてたんだけど、本当にそうだなと思う。
彼女が今の僕と同じ年齢になった頃、運が良ければ僕もまだ活きてるけど、それよりあと15年とか20年とか後の彼女の演技を見てみたいなと思う。いくら運が良くても、この不健康な僕がそこまで活きてる可能性はかなり低いと思う。(活きてても認知症になってたりしそうだし……。)
たまたまラジオで聴いて初めて知った、T字路s、難局か聴いてみたけどめちゃめちゃ良いな!!
ユニクロのオンラインストアがどうにも手に負えなかったので、初めて無印良品のサイトを使ってみた。
アクセシビリティー的に問題がないわけではなくて、一部ちょっと難易度が高いなと感じる部分はあったけど、基本的には問題なく使えたので、買いたかった衣料品を注文した。
のは良いんだけど、ついうっかり、前から気になってた無印のカレーを物色してしまって、気が付いたら気の向くままに7種類くらい注文してた。で、さっきそれがまとめて届いた。
考えてもみれば、以前だったら自分で識別できるように似たようなパッケージのものは頼まないようにしてた。
もし運良く内容量が明らかに違うものがあれば、そういうのは重さや大きさを比べれば判別できる可能性が高いから同時に頼むくらいのことはしてたけど、基本的にはレトルトのカレーを何種類も頼む、なんてことは絶対にしなかった。
けど、スマホのOCRの進化で、そういうこと気にしなくても良いレベルになったんだなあという、隔世の感がある。
実際届いた者の判別は5分もかからずにできた。
そして以前なら1度判別したらちゃんと整理して分かるように置くとかしたけど、今や食べる時にまたOCR使って探せば良いや、くらいな感じになってるのは、たぶん3年前にも想像してなかったことだと思う。
外交的にはまずい発言だとは思うけど、まあ間違ったこと言ってないよなあと苦笑してしまった。
バイデン氏、日本は中露と同じく「外国人嫌い」 関係に水差す発言 | 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20240502/k00/00m/030/331000c
一応こちらでも。
「2023年春の調査から読み解く視覚障害者のデジタルライフ最前線」期間限定アーカイブ配信のご案内 | 日本視覚障害者ICTネットワーク https://jbict.net/update/at-survey-03-event-archive
作品に関する部分も興味深いのだけど、記事タイトルにもなってる最後の部分は完全同意。
「配慮」と言ってしまうと、そこに「配慮する側」と「配慮される側」が生まれてしまって、結果として力関係ができてしまう。
reasonable accommodationは、相互の話し合いによってその状況に置いて合理的なやり方を見つけていくプロセスだと思うので、「調整」は比較的正確な言葉だと思う。もしかすると他により良い単語がある気も少しだけするけど、今まで聞いたり自分で思いついたりした中では、とりあえずこれが最善な気がする。
「合理的配慮ではなく、合理的調整と呼ぶべき」芥川賞受賞作「ハンチバック」著者、市川沙央さんインタビュー - 成年者向けコラム | 障害者ドットコム https://shohgaisha.com/column/grown_up_detail?id=3038
ちょっと前にここにも書いたけど、Logseq使い始めて、そして使い続けてる。
まだ運用方針が決め切れてない部分もあるし、蓄積されてる情報量がそんなにないから面白い活用には至ってないけど、こういうのはそこそこ長く続けてみないと見えてこないことが多いと思うので、しばらく使い続けてみるつもり。
エディターのアクセシビリティーは褒められたものではないけど、編集を外部エディター(vscode)でやれるようにするプラグインなんかを使えばそんなに苦にならないし、GitHubのプライベート・リポジトリー経由で複数端末間の同期もできるようにしたから、思いついたことを思いついたタイミングで書く、というのもそこそこできるようになった。
面白い事じゃなくてもなにかあったら/考えたら書いておこう、という意識を持ってると、それだけでものの見方とかが少し変わる感じがして面白い。
先天的な重度の難聴の人が歯科医師試験に合格して研修医として働いているという話。
この人の努力というのは想像を超えるものがあると思うので、大した努力もせずにいわば「うまくやる」ことだけでどうにかここまで活きてきた僕からすると、ただただ頭が下がる。
その一方で、たぶんこれが20年とか前だったら、こういう努力を社会が受け入れなかったのではないだろうかといいう気もしてて、たぶん社会も少しずつ良くなってきてるような気もする。(だから僕もどうにか活きていられるのだろう)
音なき対話、患者と信頼 聞こえなくても歯科医の道開く Answers - 日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE10E1I0Q4A410C2000000/
中年に突入した、男、全盲、下手の横好き。
ICTのアクセシビリティーに関連することに取り組んだり取り組まなかったり。