LinkedInで、Atlasianのaccessibility managerみたいなポジションが出てた。今の僕には魅力的に映る仕事内容。条件書かれてないので実際のところは分からないけど、まあ悪くはないだろうという気はする。
Twitterが登場した時、僕はそのオープンな構造にこそ魅力があると思って使い始めた記憶があるけど、こうなるともうそれすらない感じだなあ。アカウント、いつまで残しておくかなあ。
Twitter、閲覧にログイン必要 イーロン・マスク氏「緊急措置」 - 日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN0144I0R00C23A7000000/
【予告】主催者さんからそのうちお知らせが出ると思いますが、
7/1㈯午後に品川から東京入管に向かうデモが計画されています。
あちこちで、#入管法改悪反対アクション は広がっていますが、今ここで入管をターゲットにしたデモはとても重要だと思います。
入管に出向かなければいけない人たちがどんな景色を見てるのか、そのルートを辿って参加者が体験することも大事です。
最近体調不良もあり低浮上ですが私もこれは行くつもりです。是非、関東周辺で動ける方は一緒に歩きましょう!
僕が「アクセシビリティー」という言葉を明確に意識したのは1996年頃のことで、1997年に成り行きでW3C/WAIの発足から関わり始めて、以来この分野のことをやってきてるわけだけど、これだけ時間が経ってもあまり大きな変化がないように思われるのはなぜなんだろうと最近よく考える。
1つの考えとしては、実際にはそれなりに良い方向に変化しているのだけど、連続する小さな変化を意識しないまま僕がぼんやり暮らしてるだけだということ。おそらく少しはこの側面はあると思う。実際四半世紀前より便利になってることとかあるし。
ただ、本質的には、結局アクセシビリティーというものの重要性とか意義とかを理解してる人がそれほど増えていない、ということなのではないかという気がしてる。
で、なぜ理解が広がらないかといえば、それは人権とかそういうことについての前提が大きく変わっていないからということなのだろうと思う。
アクセシビリティーの向上で社会参加できる人が増えれば社会が変わると思ってきたけど、まず社会を変えないとアクセシビリティー向上に必要な意識が育たないのかもしれない。
僕が取り組むべきことはそっちの方向なのかもしれないと漠然と思ってる。
まあそうなんだろうなあと思いながら読んだ。で、一般にはボディータッチを避ける国でありながら、こちらが障害者だと見た途端に触れるどころか無言で腕をつかんで引っ張るなんてことを平気でする人間が多いことには呆れるしかない。最近は無言で触れてくるやつは振り払ったり逃げたりするようにしてるけど、女性とかだと恐怖を感じる場合もあるだろうなと思う。
ボディータッチを避ける日本社会 社交ダンスで知った「触れる」作法
https://digital.asahi.com/articles/ASR625DWQR62UPQJ00P.html
これ、完全に同意なんだよなあ。
こども未来戦略会議 最年少メンバーが感じた「違和感」の正体は | 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20230612/k00/00m/040/264000c
マイナンバーの公金受け取り口座の話、子供の個人番号と親の口座を紐付けていたケースが多かったみたいなの読んだけど、もし親が、それ専用に口座を用意したのでなければ、1つの口座に複数の個人番号が紐付けられるという状態だったってことだと思う。
もしそれがシステム上で許容されるのなら、1つの健康保険証が複数の個人番号に紐付けられている可能性というのも考える必要があるのではないかと最近よく考える。
マイナンバーカード持ってる人の場合、マイナポータルで確認すれば、自分の個人番号に紐付けられてるのが自分の保険証かどうかは簡単に確認できるんだと思うけど、その保険証が別の個人番号にも紐付けられていた場合は確認の手段がなさそう。
あと、自分はまだ紐付け作業をしてない状態なのに、他人の個人番号に自分の保険証が関連付けられていたりすると、これも確認できなさそう。
そもそもそういうケースがあり得るのかどうかとか、そういう部分の情報を開示して欲しい、あるいは開示されてるならもっと報道してほしい。
" 「有事」にはまずマイノリティーが迫害され、やがて世の中全部の自由が抑圧されていくことは、歴史が証明している。強じんで安全な社会を作るためには、包括的な差別禁止法が必要だ。"
本当にこれに尽きると思う。
あらゆる差別を禁止する「包括的差別禁止法」 | | 林陽子 | 毎日新聞「政治プレミア」 https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20230518/pol/00m/010/002000c
確かに今やメジャーな言語のの最善の学び方は今までとはだいぶ違うのだろうな。
言語以外の分野においても、まずはともあれ最低限のITスキルを付けることが大前提になっていくのだろうと思う。視覚障害者の場合はなおさらだと思う。
米国で生活して実感した「英語学習」のオワコン化 https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00138/050901279/
中年に突入した、男、全盲、下手の横好き。
ICTのアクセシビリティーに関連することに取り組んだり取り組まなかったり。