@upasampada
血統主義と言いながら、結局は都合がよろしいことで…ってなりましたね。
こないだ、下地ローレンス吉孝さんが立命館大の講座授業をされていて、オンラインで参加したことがあったんですが、いわゆる”ハーフ“が人種化/他者化されて、いかに白人至上主義的にもてはやされてきたか、“日本人≒単一民族“論によって、その作られてきたハーフ像が強化されてきたかを知って、腑に落ちたというか…。
@lowroarrawr 私の視点から恐縮ですが、なんというか、身近過ぎて視点から抜け落ちてたんですけどね。
私は小中高と民族学校だったんですが、いわゆる在日コリアンと日本国籍者のミックスというのはもう、普段の光景だったんですね。
誰がどういうルーツか、なんて知らないし、というか、暗黙の了解みたいなのもコミュニティであったのでしょう。
で、彼ら彼女らはもう、普通に在日コリアンだったんですよ。
いまさら気が付いてみれば、それは在日コリアンのコミュニティだったからなんですが。
一方で、そういうコミュニティから離れて暮らす方々もいたわけで、そういう方々は、もうひっそりと、自分が在日だとバレないようひっそりと暮らしていたわけです。
ちょうど安田菜津紀さんのお父さんなんかそうですね。
コミュニティのメンバーが夏季学習の案内とかでそういう家を尋ねたりすると、火が付いたように怒り出したりしたりする人も居てね。
高校生の頃、そういうのに動員されたりしたんですが、今になって思えば、ああ、あれはそういう事だったのかと。
@upasampada @lowroarrawr わたしは幼小中が華僑の学校でしたが、同じく、誰がどういうルーツかなんて知らないし、日本国籍であっても、中国国籍であっても、まあみんな仲間でしたね。
横浜のあそこら辺には普通の学校のほかに大陸の華僑の子弟が通う学校と台湾の華人の子弟が通う学校と英米系のインターナショナルスクール等々複数の学校があり、華僑の一部(得てして富裕層ですが)はインターナショナルスクールに通うのですが、その子弟は華僑のコミュニティでは見え辛い存在になってはいたかもしれません。ただ、摩擦があったワケでは無いと思います。
わたしが大学時代に、大学の友人の次に仲が良かったのはインターナショナルスクールに行った華僑の子弟でしたね。
わたし達が小学校中学校時代は、中台の対立がコミュニティにも色濃く反映されていて、私たちは台湾系の華人の学校を非常に恐れていましたね。
@fukuyoken3daime @lowroarrawr ありがとうございます。
興味深いですね。
日本において、韓国は初代大統領イスンマンの当初から日本の子弟は日本人となれ、という方針だったので、学校が極端に少ないんですね。
また、朝鮮学校の多くがいわゆる朝鮮人部落の近くに建てられたものの、1948年あたりの閉鎖令などで校舎や土地が没収となり、それが日本学校として再利用され、それにもめげずその近くに土地を買い、校舎を建て、ということをやったようで。
少なくとも川崎はそうなんですけれど。
そういった経緯もあり、対立してくるのは圧倒的に近くの好戦的な日本学校でしたねー。
あんまりこういう事書くとアレなんですけど。
@upasampada @fukuyoken3daime ありがとうございます
戦争(冷戦や国共内戦)によって、コミュニティ内での分断が起きていた話は存じ上げていましたが、まさか中台における対立がそのよう形になっていたとは…。
大変恐縮です。