ライアンさんと話していてふと思ったのですが、日本て血統主義をとっていながら、ミックスルーツの方々に極端に冷たいよなと。
血統主義という言葉ですら、排外主義のエクスキューズに過ぎないのではないかしら、という。


血統主義と言いながら、結局は都合がよろしいことで…ってなりましたね。
こないだ、下地ローレンス吉孝さんが立命館大の講座授業をされていて、オンラインで参加したことがあったんですが、いわゆる”ハーフ“が人種化/他者化されて、いかに白人至上主義的にもてはやされてきたか、“日本人≒単一民族“論によって、その作られてきたハーフ像が強化されてきたかを知って、腑に落ちたというか…。

私の視点から恐縮ですが、なんというか、身近過ぎて視点から抜け落ちてたんですけどね。
私は小中高と民族学校だったんですが、いわゆる在日コリアンと日本国籍者のミックスというのはもう、普段の光景だったんですね。
誰がどういうルーツか、なんて知らないし、というか、暗黙の了解みたいなのもコミュニティであったのでしょう。

で、彼ら彼女らはもう、普通に在日コリアンだったんですよ。
いまさら気が付いてみれば、それは在日コリアンのコミュニティだったからなんですが。

一方で、そういうコミュニティから離れて暮らす方々もいたわけで、そういう方々は、もうひっそりと、自分が在日だとバレないようひっそりと暮らしていたわけです。
ちょうど安田菜津紀さんのお父さんなんかそうですね。

コミュニティのメンバーが夏季学習の案内とかでそういう家を尋ねたりすると、火が付いたように怒り出したりしたりする人も居てね。
高校生の頃、そういうのに動員されたりしたんですが、今になって思えば、ああ、あれはそういう事だったのかと。

つまりは、片親でも在日コリアンと知れれば徹底的に排除されたわけで。
そいういう現実と隣り合わせで生きてきたんだな、という事にですね、なんだか改めて気付かされたというか。

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衆善奉行さんのリプを見ていると、う、うわぁ…ってなってしまいました。
本当に隣りあわせですね…。

コリアンの方々における分断というか(こんな言葉を使うのは失礼ですが)、血統主義、いや「純粋な日本人かそうじゃないか」というクッソ恣意的な線引きによる、分断と品行方正チックなことが本当に連続性を持っているんだなと…。

そして、似たようなことが、スリランカコミュニティにもあるというか、大変恐縮ですが、スリランカの文化や習慣を維持するかしないか、それこそ「日本人に受け入れられるように品行を正せるか」次第で、コミュニティ内でも分断があったりで。
親父が抜けてもう数十年になりますが…。
複雑な感情です。

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