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なかなか鋭い頭痛がしてきた。ここ数日悪いことが続いている

不馴れな電気ストーブに当たっていたからか、いつの間にか火傷していたらしい

「シュレーゲルは別の断章において次のように記している。「批評とは本来、ある作品の精神と文字とを比較することにほかならない。…… 批評するとは、ある著者を、著者が自己自身を理解したのよりもよりよく理解することである」(168; Nr. 992)。すなわち、批評とは文字のうちに書かれた作品を前にして、それがいかなるものでありえたか、あるいはいかなるものでありうるか、を問う営みである。これが文字と精神の比較、ないし作品とその理想の比較と呼ばれる。」(小田部胤久『西洋美学史』163-164頁)。

「作者はある精神を実在化しようとして文字を記す。この意味において、「文字は固定化された精神である(ⅩⅧ, 297; Nr. 1229)」。批評家は、作者による精神から文字へという方向を逆転させて、残された文字を手がかりに「〔文字のうちに固定された〕精神を自由にし」(idid.)、「文字を流動化する」(344; Nr. 274)。(中略)批評家に要求されるのは、必ずしも文字のうちに十全に固定されてはいないであろう精神を文字のうちから読み取ることである。」(同書164頁)。

明日の予定確認したら少し本読んで、アニメ見て寝ますか。

安物の電気ストーブを買いました。気を抜いたら火事になりそう。できれば使わない方が望ましいですが、私は暖かさを知ってしまいました。

「オッカムの危惧は、組織の中心にいる権力者がその組織をもっとも深刻に裏切り、もっとも大きな害悪をまき散らし、組織を汚染するということであった。」(香田芳樹『罪深き人びと 西欧中世からの反骨精神』112頁)。

倉野 さんがブースト

起きている時間が長くなりすぎて気持ち悪くなってきた。早く寝よ。

変な時間まで起きていてしまうのも辛い

古代ギリシアの哲学者と古代ギリシアの哲学(者)について本を著した人たちがまとめて表示されるのね。

倉野 さんがブースト

千葉雅也『現代思想入門』を読んでから「ポストポダン」という言葉について調べたり考えたりしてる。どうも、フランス現代思想と括られている哲学者で自身を「ポストモダニスト」と括られるのを嫌がったのが多数だとか。と、すると今まで自分が「ポストモダン」を蛇蝎のように接してたのは、ある種の藁人形だったのかもしれない。あと、本書で、ポスト構造主義(≒ポストモダン思想)は古典化している、とあった。だとしたら、フランシス・ベーコンの四つのイドラがバイアスと通じることがあるように、現代科学と通じる部分が「ポストモダン」にも現れるかもしれない。  

バイアスと4つのイドラは、私たちの抱く先入観という同じ事柄を話題にしているので通じるものを見つけるのは楽ですが、ポストモダンと現代科学の間に繋がりを見つけるのは骨が折れそうですね。パッと思いつくのは、ポストモダンが出てくる1970年代の前の世代で科学的な認識について論じたガストン・バシュラールとポストモダン思想の関係を調べてみるとか楽しそうだなと思いました。

ja.wikipedia.org/wiki/スパイ#:~:t

原義を踏まえると、互いに互いを見張る者同士が家族を作っていて(「espion(見張る者)」)、家族という関係を意図せず発見していき、家族であることを望むようになっていく(「espy (見つける、探し出す)」)物語ってことなのかな。

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ところであの家族でスパイなのは父だけでは・・・?

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某間諜家族アニメの構成があまりにも綺麗なので、内容関係なく見ているだけで快くなっちゃうね。

勉強にはなるけど、レヴィナスが取り上げられていないみたいでそこは困る。

小田部胤久『西洋美学史』(東京大学出版会)で美学を囓り始めた。

Fedibird

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