フォロー

「シュレーゲルは別の断章において次のように記している。「批評とは本来、ある作品の精神と文字とを比較することにほかならない。…… 批評するとは、ある著者を、著者が自己自身を理解したのよりもよりよく理解することである」(168; Nr. 992)。すなわち、批評とは文字のうちに書かれた作品を前にして、それがいかなるものでありえたか、あるいはいかなるものでありうるか、を問う営みである。これが文字と精神の比較、ないし作品とその理想の比較と呼ばれる。」(小田部胤久『西洋美学史』163-164頁)。

「作者はある精神を実在化しようとして文字を記す。この意味において、「文字は固定化された精神である(ⅩⅧ, 297; Nr. 1229)」。批評家は、作者による精神から文字へという方向を逆転させて、残された文字を手がかりに「〔文字のうちに固定された〕精神を自由にし」(idid.)、「文字を流動化する」(344; Nr. 274)。(中略)批評家に要求されるのは、必ずしも文字のうちに十全に固定されてはいないであろう精神を文字のうちから読み取ることである。」(同書164頁)。

ログインして会話に参加
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。