『パイドン』を読了しました。

『パイドン』(納富訳)を読み始めました。

香田芳樹『罪深き人びと 西欧中世からの反骨精神』読了しました。

じゃあなんでイデアを探求するのに、数ある移ろいやすいものどものうちから言葉を用いた言論を手段として採用するんですか?という話が気になるな。言語や言論、そしてそれらと魂の機能としての知性との関わりという論点を確かめたい。パッと思い付く対話篇、『パイドン』と『国家』あたりを読みながら考えたいところ。

スレッドを表示

またそのうち再読したい。イデアについての要点も書いてあったし。言葉やそれによる定義、そして言葉によって定義されたり指示ないし表現されるところの、(イデアに対応している)模像が、生滅等の変化を被るというその脆弱さゆえにイデアとは区別される。言葉もまた変化しうるものの1つに数えられるために、イデアは言葉では言い当てられない。

スレッドを表示

プラトンの対話篇を読みたいと希望しつつ、彼の人の対話篇ではない著作を読んだというわけです

でかいこと(≒集団の変革)を成し遂げたいならば、まずは裏切られぬ同志を持て、みたいな話が始まった。

スレッドを表示

プラトン『第七書簡』(長坂公一訳)を読み始めました。

時間の使い道を誤った観がある。金もないのにこういう無理をすべきではなかった。

私含め人間は屑になってしまいやすいのだろう。

今まで認めたくはなかったんだけど、認めるしかない。下衆は数多くいるし、下衆の発するあれこれは如何にしようもないものだということ。あれらはそういう生き物としてほぼ完成されていて、救いがたく、醜い自分自身の姿に気づくことができない生き物なのだということ。

リビングの照明器具が点かなくても案外過ごしていけるような気がしてきた。

「こうして、単に〈散文的〉現実のみを見る(散文的)人々と、〈散文的〉現実のうちに「不可視な精神的世界」の存在を見て取る(ことができると称するロマン的)人々との間の対立が生じる。こうしたロマン主義の危機をシェリングの芸術哲学はーー潜在的にではあるがーー指し示している。
 この危機はホフマン(一七七六 - 一八二二年)のいくつかの小説のうちに顕在的に現れている。たとえば「ファールンの鉱山」(『セラピオン同人集』(一八一九年)所収)の主人公エーリスは鉱山の奥に「豊かな鉱脈を発見」したと信じ、同僚からそれが実際には「何も含まない岩塊」にすぎないと聞かされても、次のように答える。「もちろん自分だけが秘めた徴 (die geheimen Zeichen) 」を、すなわち〔地底の〕女王自身の手が岩地に刻み込んだ意味深長な文字 (die bedeutungsvolle Schrift) を理解できる。この徴が理解できれば十分なのであり、この徴が告げ知らしているものを明るみに出す〔=採掘する〕必要はない (Hoffmann, IV , 235) 」(小田部胤久『西洋美学史』185頁)。

「ファールンの鉱山」ってこれ、「ドラゴンクエストモンスターズ2 マルタの不思議な鍵」の「雪と氷の世界」のネタ元の1つなのかな?

古いものを表示
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。