プラトン『第七書簡』(長坂公一訳)を読み始めました。
時間の使い道を誤った観がある。金もないのにこういう無理をすべきではなかった。
「こうして、単に〈散文的〉現実のみを見る(散文的)人々と、〈散文的〉現実のうちに「不可視な精神的世界」の存在を見て取る(ことができると称するロマン的)人々との間の対立が生じる。こうしたロマン主義の危機をシェリングの芸術哲学はーー潜在的にではあるがーー指し示している。
この危機はホフマン(一七七六 - 一八二二年)のいくつかの小説のうちに顕在的に現れている。たとえば「ファールンの鉱山」(『セラピオン同人集』(一八一九年)所収)の主人公エーリスは鉱山の奥に「豊かな鉱脈を発見」したと信じ、同僚からそれが実際には「何も含まない岩塊」にすぎないと聞かされても、次のように答える。「もちろん自分だけが秘めた徴 (die geheimen Zeichen) 」を、すなわち〔地底の〕女王自身の手が岩地に刻み込んだ意味深長な文字 (die bedeutungsvolle Schrift) を理解できる。この徴が理解できれば十分なのであり、この徴が告げ知らしているものを明るみに出す〔=採掘する〕必要はない (Hoffmann, IV , 235) 」(小田部胤久『西洋美学史』185頁)。
「ファールンの鉱山」ってこれ、「ドラゴンクエストモンスターズ2 マルタの不思議な鍵」の「雪と氷の世界」のネタ元の1つなのかな?
プラトン対話篇を読みたい人