山猫(1963)の原作ぴゃーっと拾い読みしてみたんだけどそもそも主人公ファブリツィオはタンクレディの叔父じゃなくて伯父やった
えいがの日本語字幕の大間違いだと思うんですが、えいがの原語ほうも叔父なのかなあ?とサササと検索したら伊語では伯父も叔父も同じみたい
原作のなかの関係性を見ないと伯父か叔父かはわからないってことか、むしろなんで訳者は叔父としたん?
原作の本国出版が1958、邦訳出版1961、映画が本国で1962、日本語字幕のために原作にあたる時間はあまりなかったのか
とにかくファブリツィオは伯父、彼の妹がタンクレディの母
サリーナ公爵ファブリツィオの妹が嫁いだファルコネーリ伯爵家の先代当主、タンクレディの親父が一代で浪費で財を使い果たし死に母親も苦労で死んで
タンクレディは家名はあるが金も家族もないと(もちろん平民とは違う)ガリバルディの義勇軍に参加、
伯爵家の当主が前線に行っちゃっていいのか?あと最初にもらった小遣い、伯爵様には小銭じゃない?と思っていましたがそういう事情
タンクレディの軍での友人、ミラノのカヴリアギ伯爵というのも似た事情なのかな
そしてBlu-ray特典の解説冊子の出演者リスト、ピエクレはんのフランチェスコ・パオロ(長男)も多分誤りで彼は三男
無印パオロが長男だった
かわー クロコダイル・ダンディーっていう映画で豪州のワイルド男がホテルの部屋のビデの使い方を考え込んで、ケツを洗うもんだな?って大正解したシーンがあったのですが、大正解しますねモンコも
連合国による解放後、周辺のドイツ住民に収容所見学させたのってなんだっけと検索 普通にwikiでした
直接行かせたのはパットン
映像の世紀でそれをやってたらしいけどみてないな…
従軍カメラマン マーガレット・バーク=ホワイト
「女性は気を失い、男性は顔を背け
“知らなかったんだ”という声が人々から上がった。
すると解放された収容者たちは怒りをあらわにこう叫んだ。
いいや、 あなたたちは知っていた。」
最高司令官アイゼンハワーは戦中に、みずからそうした収容所に出向き、ジャーナリストたちにも取材させている
「私が目にしたものは、言葉では言い表せないようなものだった...。
飢餓、残酷さ、野獣性の視覚的証拠と言語による証言は、あまりにも圧倒的だった...。
もし将来、このような疑惑をプロパガンダだとする風潮が高まったら、私はこれらのことを直接証明する立場に立つために、意図的に訪問したのだ。」
アイゼンハワーの文章はワシントンDC のホロコーストミュージアムの壁にあるそう
参照、ドンナフガータ城は映画で実際にサリーナ公爵の城として撮影された場所、「逃げてきた女」の意だそう
未読、原作小説に以下のようにあるのだとか
「19世紀初頭、ブルボン王朝のフェルナンデス4世の妃であったマリア・カロリーナが、ナポリで起きた革命を逃れてここ(ドンナフガータの自社葡萄畑のあるコンテッサ・エンテリーナ)に逃げてきたという歴史にちなんで」
逮捕状、プーチンにも出しましたし、じっさいの効力についてはわハッキリとはわからないですよね…
でも一応、あれは悪いことなんだって国際社会で確認されることはやっぱりだいじなはずですよね…
バイデンこんなふうだともしトランプが来るのもそれはまた暗くてやですね!!!
「映画 “山猫” のタンクレディ伯爵に由来する、シチリアの名門ワイナリードンナフガータの看板赤ワイン」だって
子どもを数として道具にすることができるようにしてきてる
「そんなつもりありません」といっても可能にしてきてる
・大阪府知事が「0歳に選挙権を、ぼくは子どもが3人で4票影響力ある」なにも考えようのないバブーしてる赤ちゃんの票を親父が数に使えるようにしようって
・総理大臣が「0歳児選挙権は慎重に検討」(言語道断と否定せず)
・票の数で決めた共同親権ではDVがあろうが子どもが親から離れられず
・その額があれば何人の子どもが食事できるかわからない裏金がぜんぜん責任の追求もされないままで、
・市民の精一杯のボランティアのこども食堂もていっぱいで、夏休みとか長いお休みのあとは給食がなかったからやせちゃう子どもが増えているのに
・自衛隊に入れば3食ご飯が出る!ていうアピールした、アピールの対象は腹減った若者になる、食事のために入隊する富裕層んちの子はまずいない
・国立の大学の授業料を上げてもともとお金のあるお家の子どもしか進学できなくする
最初に前線に行くのは大卒の子じゃない、その状況にした政治家とその子息は最後の最後まで行かない
いろんなポイントで子どもを大事にしないと、子どものご飯や望む勉強ができなくなるのを見過ごすと、絶対に行っちゃだめなところへ、つなげちゃいけないのにつながる道路ができてしまう
んげえパイナップルと繊維いっぱいココナッツアイスのパッフェーだって…たびたい…!
ンアー
いまは60~70年代のまかろに、旧作を噛んでいます、常にニワカ、行ったり来たり、成人shipper さえずり日常 バレ配慮が足りないときがあります