@knappertsbuch 家康自身はスペインの宗教を背景とした侵略的な活動を警戒して禁教へと舵を切ったのですが、秀忠から家光の代に禁教の部分だけが大きく拡張してしまったのが…。そういう部分だけ制御して有益な知識を取り入れるには、日本側にも相応に「専門家」を育てておく必要がある訳ですが、「家」に知識を付けてしまう当時の社会の仕組みでは、そういう「専門家」を上手く組み入れることが出来なかったということでしょうね。
@knappertsbuch 吉宗の時代にキリスト教以外の西洋の書物が解禁されたのが、いわゆる「ターヘル・アナトミア」の様な洋書を杉田玄白らが手にする切っ掛けになるのですよね。環境さえ整えば日本でも西洋の科学に貪欲に触れようという人はそれなりにいたということだと思います。
@knappertsbuch アレルギーは今でも難題ですよね。原因が特定できたところで、今のところは回避策しかないことが多い訳ですし。
それでも、そもそもそんな病気があり得るという知識がなかった時代に比べれば、知見の厚みが増したとは言えるのですけれど。
@knappertsbuch 当時は症状が出た時に直前に食したものに原因を求めがちだったので、時系列的に「鯉の天ぷらが原因だぁーッ」ということになってしまったのでしょうねw。
江戸時代には蕎麦に中って死んだ人が出ると、その蕎麦の栽培地で「あの蕎麦には毒が入っている」などという話になったりするケースがあった様です。twitter上で「あれは蕎麦アレルギーだったんじゃないか」という説を見てハッとしたことがあります。
@knappertsbuch 鯉の天ぷらに中ったという説もあったのですけれど、最近では否定される方向ですね。田中城で発病する前から症状があったり、発症してから死に至るまでの時間の長さなどもあって、癌だったのではないかという説が今は有力のようです。
徳川家康、天麩羅食い過ぎて亡くなったんじゃなかったっけ、、、
A qualified Psychiatrist, working in Tokyo.
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