@knappertsbuch 鯉の天ぷらに中ったという説もあったのですけれど、最近では否定される方向ですね。田中城で発病する前から症状があったり、発症してから死に至るまでの時間の長さなどもあって、癌だったのではないかという説が今は有力のようです。
@kanageohis1964 ご教示くださりありがとうございます🙇♂️
俗説だとは思いますが、それくらい好きだったんですね。
@knappertsbuch 当時は症状が出た時に直前に食したものに原因を求めがちだったので、時系列的に「鯉の天ぷらが原因だぁーッ」ということになってしまったのでしょうねw。
江戸時代には蕎麦に中って死んだ人が出ると、その蕎麦の栽培地で「あの蕎麦には毒が入っている」などという話になったりするケースがあった様です。twitter上で「あれは蕎麦アレルギーだったんじゃないか」という説を見てハッとしたことがあります。
@knappertsbuch アレルギーは今でも難題ですよね。原因が特定できたところで、今のところは回避策しかないことが多い訳ですし。
それでも、そもそもそんな病気があり得るという知識がなかった時代に比べれば、知見の厚みが増したとは言えるのですけれど。
@knappertsbuch 吉宗の時代にキリスト教以外の西洋の書物が解禁されたのが、いわゆる「ターヘル・アナトミア」の様な洋書を杉田玄白らが手にする切っ掛けになるのですよね。環境さえ整えば日本でも西洋の科学に貪欲に触れようという人はそれなりにいたということだと思います。
@kanageohis1964 キリシタン大名がローマに派遣した少年達はグーテンベルクの印刷機を2つ持ち帰っていますから、鎖国とキリスト教弾圧さえなければ、どれだけ日本の文化、文明は深まったことかと深く悔やまれます。
@knappertsbuch 家康自身はスペインの宗教を背景とした侵略的な活動を警戒して禁教へと舵を切ったのですが、秀忠から家光の代に禁教の部分だけが大きく拡張してしまったのが…。そういう部分だけ制御して有益な知識を取り入れるには、日本側にも相応に「専門家」を育てておく必要がある訳ですが、「家」に知識を付けてしまう当時の社会の仕組みでは、そういう「専門家」を上手く組み入れることが出来なかったということでしょうね。
@kanageohis1964 全く仰る通りですね。家格や出自が問題になる社会では才能だけではどうしようもらならない限界があったでしょうから。
家光時代の老中が作り上げた江戸時代の基本システムはそれはそれなりに外圧があるまでは国を治める点では順調に機能していたと思いますが、システムの維持に重きが置かれ過ぎて、個を圧殺してきた弊害は江戸時代を超えて現代まで深い禍根を残しているように感じます。
@kanageohis1964 江戸時代も解体新書の時代はかなり解剖も正確なのに以前驚きました。
緒方洪庵の適塾も想像以上にレベルが高くて。
今のワクチンは受け入れられませんが、洪庵先生の事業には心から尊敬しています。