16世紀の建物のかつては館主の部屋だったというところで寝起きしている。天井が4メートルぐらいの高さで冷え込みが厳しい。隣はウィンストン・チャーチルが戦時中疎開して住んでいた部屋とか。戦後は金持ちが買い取り、グレゴリー・ペックが滞在したりしていたそうであるが、70年代に電気工労組が買い取って、今のようなホテルになったとのことである。民主化を絵にかいたような話。
おやおや、フジテレビの番組審議会(三浦瑠麗や舞の海含む)で「人権意識が強すぎるとテレビ番組がつまらなくなる」という意見が複数出ていると云ふ。
私はTVを見ないので、確たる断言はできないのだが、仄聞する情報から推測するに、日本のTVはそもそも「人権意識が低すぎる」のではないか?
「人権意識の高さ」と「つまらなさ」の相関関係については、言語道断である。
これは要するに「人権」が「タブー」になると「つまらない」という80年代以来の「おきまり」の言説の反復である。
80年代から吉本興業を代表とする芸能バラエティでは、「マイノリティ」に対する「タブー」ばかりを侵犯することで、「面白さ」を「マジョリティ」に提供する、という構図が続いてきた。
本来、芸能としての「笑い」は「権力」を対象としたもの。であるからして、日本の芸能は80年代にはすでに決定的に「堕落」していた。
広告屋が煽った「ヤンキー文化」にしても、せいぜい「学校の先生」を「権力」と見做していた。文科省、教育委員会、校長に攻撃されていた先生達には「いい迷惑」である。
こうした構図に在り重なったのが文化エリートのポストモダニズム@JAPAN。この連中が今や大学教師になっているのだから、笑止千万とはこのことではないか?
南ア、国際司法裁に判断を「緊急要請」
ガザの人権保護めぐり
ここで、私が書いたのは中学時代の話。「裏秩序」はさすがに高校にはなかった。
中学の時も、卒業後数人は「本職」に一度は務めたが、全員数ヶ月で辞めたと記憶している。つまり職業としての「ヤクザ」は相当大変なのである。さらに暴対法以降さらに人員は減りつつげ、この10年で半減、とルモンド・ディプロティークの記事にあった。
いずれにせよ、現在でも「中2病」と言われるくらい13-15歳付近は自我が不安定になりやすい。不安定になる自我を支えようとルール違反の「マウンティング」が交錯するのは、変わらないようである。
しかし、地域単位の公立中は様々な家庭背景・階層の子供が入れ乱れて秩序を模索する仕組み自体はいいと思う。神戸では、在日、沖縄、部落の人が多かったので、その意味での多様性もあった。ただ、そこでの紛争が「イジメ」にエスカレートしないように「大人」が見守っている必要があるけれども。
ちなみに私は「イジメ」を犯罪として警察を学校に入れようとする意見には反対である。これは警察を信用し過ぎ。
ただ現在の日本社会では親が「リベラル・レフト」の人は子供が生き残れるように特別な配慮=訓練は必要だと思う。「子供の人権」を守るけでは、学校を出てから困ったことになる。日本は「大人の人権」には全く関心がないのである。
ニューロンのシナプスのネットワークと銀河の構造は驚く程似ている。
1人の人間のシナプスの情報を保存しようとしたら宇宙と同規模必要スケールの保存媒体がいる。
人間1人すらデジタルで置き換えることは出来ない。AIも本質的に宇宙規模は無理だよね。
https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fphy.2020.525731/full#B6
納豆を拒むなら、況してやいわんや日の丸弁当をや。トランプ再選以後の世界が複雑怪奇過ぎるような。
ガザは本当に喫緊にどうにかならないか。
アメリカは完全に自家撞着。
ネタニヤフはヒトラーより止め難い。
国家官僚制(行政国家)と企業の大規模化が結合して、所謂「現代資本主義」が成立するのは、19世紀末から20世紀はじめ。
19世紀半ば過ぎまでは、株式会社は法的に認められておらず、企業といっても、実質はかなり小規模ー現代と比較してーなものだった。
この段階では、所有と経営はまだ分離しておらず、「資本家」と「労働者」が直接対峙する構造。
マルクスの『資本論』はこの段階の資本主義を分析した書物なので、現在の資本主義分析にはそのままは使えない。従って、掛け声だけ「マルクスに帰れ」、「マルクスはなんでも見抜いていた」という原理主義は、相対化しておく必要がある。
これに対して、近代主権国家は17世紀まで一応遡れる。政治共同体が債権を発行するシステムは中世のイタリア都市国家から始まるが、これが覇権戦争の帰趨を決定するようになったのは、17世紀から。
官僚制に関しては、19世紀末から急速に大規模化し始め、WWII以後さらにスケール・アップして今日に至る。この点では大企業組織と国家官僚制の類似点の方が多い。
新自由主義段階でも官僚制は決して縮小していない。福祉・文教予算を縮小しながら、軍事・治安面ではより「強い国家」となる。
法人化以降の大学も同じで、国家統制はより強化されているのである。
A qualified Psychiatrist, working in Tokyo.
love classical music, trout fishing and nature.
Never War.