Yahoo!に出るんか、、、
今春卒業して大学生になったけど、ただの一回も塾に行かずにこの高校入ったの、娘の同期では娘だけかと思う。
ぼくは旭川東高校に行って欲しかった、、、
https://news.yahoo.co.jp/articles/4cbad42823beac1cf7d1c6058568a97aa3bc37e8
算数、数学が出来る人は高収入、生活の満足度が高いが、低収入になると生活の満足度は逆転的に悪化する。
日本の理系博士号取得者、法科大学院卒の人にもかなり当てはまる傾向かな。
https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0259331
ベラスケス「女官たち」
「おそらくこのベラスケスの絵の中には、古典主義時代における表象関係の表象のようなもの、そしてそうした表象のひらく空間の定義があるといるだろう」(M.フーコー『言葉と物』)
しかし、エル・グレコやあるいはベルニーニの「聖テレサの法悦」に関して、同じことは言えるだろうか?
そもそもベラスケスは、この時代、あるいは西洋美術史においても傑出した大芸術家であって、「バロック」という枠にも「古典主義」という枠にも収まらない。
このあたり、フーコーもある意味バロック的カトリックとジャンセニズム(パスカルなど)が、せめぎあいながら、「古典主義」美学を発達させた、「あまりにもフランス」的な美学の内にいる、とも言えるのかもしれない。
さて、不安定性、ダイナミズム、死の予感などの特徴だけでは「バロック」と「ロマン主義」の区別もつかない。実際ある時期からの日本の批評はとにかく「バロック」的と言っておけばいい、という風潮もあった。
ただし、ロマン主義はフランス革命とナポレオンを前提としている点で、はっきりと歴史的(近代)概念であり、バロックとは区別されるべき、と私は考えている。仏でプレ・ロマン主義に分類されるコンスタンやシャトーブリアン、それにドイツ・ロマン派は典型的にそれにあたる。ユゴーやミシュレは当然である。
バロックとの決定的な差異は「自意識」。バロック的「自意識」とはまず言わない。
また音楽に「バロック」という概念をどれだけ応用できるか、になると疑問。モンテヴェルディかたバッハまでを「バロック」と纏めるには如何にも無理がある。またバロックの特徴とされる装飾過剰はバッハの音楽からは削ぎ取すことができる。
またベラスケスは17世紀スペイン・バロック期の最大の画家であるが、『言葉と物』の序で鏡と視線の交換の如何にもサルトル的分析によって、ベラスケスの「官女たち」を17・18世紀の「古典主義」のエピステーメーの症候として記述している。
ことほど左様に芸術における「概念」と応用は一筋縄ではいかない、ということであろう。
“カリフォルニア大学バークレー校で教授を務め、アメリカのユダヤ人活動家組織「平和のためのユダヤ人の声」のメンバーでもあるバトラーは、3月3日にパリ郊外で行われたフランスのYouTubeチャンネル「Paroles d’Honneur」主催の講演会で、ハマスが10月7日に行った奇襲攻撃は「残虐」ではあったが、「テロ攻撃や反ユダヤ主義的な行動」ではなく、むしろ「蜂起」であり、「武装抵抗」であったと発言。これにより、反ユダヤ主義者として非難された。”
https://artnewsjapan.com/article/2181
岡真理先生の昨年10月の抗議によると、ハマスは突然音楽フェスでテロを起こしたのではなく、その前にイスラエルの軍事拠点への攻撃も行っていたと。
占領下において抵抗運動を起こす権利は国際的にも認められていることで、それを踏まえるとこのバトラーの意見は、間違っていないと思えるけどな。
まず「反ユダヤ主義」というワードが、イスラエル批判の言説を封殺する玉虫色のものになりすぎていて……やはりよくないと思う
A qualified Psychiatrist, working in Tokyo.
love classical music, trout fishing and nature.
Never War.