新しいものを表示

ペケッタで見たのだが、ガザの虐殺への抗議の声に対して「知らない、どうでもいい」と吐き捨てながらスターバックスで寛ぎの一時を過ごす日本人の存在というのは、おれにとってみるととんでもなく恐ろしいんよな。抗議を茶化したり下らないイチャモンをつけたりするクズの方がまだ可愛げがあるように思えてしまう。

サイケ、っちゅーだけじゃ言葉足らずだ。ジャズもソウルの要素もしっかり入って、とろとろだけどリズムは強靭なんだよね。たまらんね。

スレッドを表示
刻み and 融和 さんがブースト

2010年代の「真面目さ」が、国家に悪用されていきそうで不快だ。

redveilの、パレスチナでの虐殺に対する怒りの表明は本当に勇敢で、間違いなく尊敬に値することではあるんだけど、それに乗っかって「日本人のラッパー、どうした?」「ハッパ吸ってるだけか?」みたい事を言ってる人を見るとマジで萎える。

誰よりもダサいのはてめぇらだよ、なんてね

刻み and 融和 さんがブースト

「参政党は見てくれを重視しててそこは評価できる。その点左翼はダメ。」みたいなのが流れて来る。参政党は差別主義に根差している時点でダメなの。見てくれだの戦略だの評価してる時点でダメなの。引き合いに出すべきじゃないの。ほんといい加減にして欲しい。

刻み and 融和 さんがブースト

フリーフリーパレスタイン、とチャントされただけで消滅してしまうような人々ならば、消滅してしまった方がいいのではないか。

刻み and 融和 さんがブースト

今まさに欧米の「民主主義」国家が後押しする大虐殺が起ころうとする中で、過去にアメリカによる非戦闘員の虐殺を経験したはずの日本の「愛国者」どもが、軒並みイスラエル支持に回っているのが本当に気持ち悪い。あいつらが日頃喚く「日本人の誇り」って一体なんなん?

「またポストパンクかよ」と言われても、かっこいいのだから仕方がない。
music.apple.com/jp/album/natur

刻み and 融和 さんがブースト

最近の言い方としての「考察」的なサブカルチャー読解は、作者の意図しか認めないような読み方としてあるわけではない(そうであれば、それはむしろベタに近代主義的な読み方で、ある意味安全だろう)。そうではなく、作品世界を整合性を持つ情報空間として想定し、そこにある事情や都合を「考察」し二次創作的に想像するような読み方として、それはある(だから現在の「考察」文化は、おたく第一世代の振る舞いの果てにあるものだ)。そしてそうしたいわば「能動的な消費行為」を促す構図が動員システムとして機能することを指摘し続けているのが、大塚英志である。

Nala SinephroとAlabaster DePlumeが来日キャンセルかー。理由がはっきりわかる方がモヤモヤしなくていいんだけど。海外から日本に向けられる視線が凄まじく厳しくなっている時期だから変な事考えてしまう。

もう東京まで遠征するお金はないからどちらにしても観れないけど、キャンセルは本当に残念。

刻み and 融和 さんがブースト

「公平」「公正」は、この社会に根本的に欠けた価値観よな。

刻み and 融和 さんがブースト

既存体制を一気にひっくり返す=「革命」をやろうとすれば、どうしたって既成の共同体を暴力的にでも解体するしかなくなる場面はやってくるわけで、そういう過激さを伏せたまま他人をアジるのはやっぱよくない。過激だったり暴力的だったりするのがよくないということではまったくなく、暴力的にならざるを得ない現実があることを都合よく隠蔽するのがよくない。そのことをよくよく認識したうえで、それぞれが自分自身で判断するしかない。

刻み and 融和 さんがブースト

とはいえ忘却の彼方になってんのは日本国内だけで、ROKには100年を経ても仮の墓で本人を待っていたりするし、DPRKでもそういうケースはあるだろうし、歴史資料は書庫で眠っていたりするし、重要文書はUSAが保管してたりするので、自国で起こった事なのに何も知らない普通の日本人、という俯瞰してみるととてもとても恥ずかしい構図に。

ホントまあ、よくこんなんで「原爆落とされて苦しんだんですー」とかは未だに嘯いてられるよなと。
サイコパスだよサイコパス。
集団的な。

スレッドを表示
刻み and 融和 さんがブースト

そうして加害の歴史は忘却の彼方へ、検証もできず葬り去られてゆく。

スレッドを表示
刻み and 融和 さんがブースト

”隠された爪痕”呉監督のインタビュー。

流言飛語がどこからともなく沸き上がったのではなく、政府が提供した。
それを民衆がお墨付きのように信じて殺した。

現在のヘイトスピーチもおなじ。
東京都都知事小池百合子が朝鮮人虐殺追悼集会に「震災で亡くなった全ての人を追悼する」と追悼文を送らなかったり。
東京都人権部がin-matesを上映拒否したり。
日本政府官房長官である松野博一が「記録はない」と嘯いたり。

これによってネトウヨが”お墨付き”を与えられ、荒唐無稽な加藤夫妻の著書やそよ風の主張がツイッターなどでエコーチャンバーになる。
普通の日本人は面倒くさい事には近寄らない、と知らぬ存ぜぬを決め込む。

スレッドを表示

連続射殺事件に至るまでの永山則夫の半生を知った時には甚大な衝撃を受けたものだけど、磯部涼さんの「令和元年のテロリズム」に書かれていた青葉真司のそれも、言葉を失うほど悲惨なものだった。ただその悲惨さは、自分たちの平穏な日々と隔絶されたものでは決してないんだよな。
「令和元年〜」また読まないと。

古いものを表示
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。