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「ハンサムマストダイ」、「続きはウェブで!」はともかく「グラデ便箋」には、いくつくらいの人間をターゲットにしてるんだろう……と思った。

アイドルを題材に取った作品はいくつか目にしたが、そもそもアイドルになじみがないためか、大前提としての「アイドル」なるものがうまくのみこめないところがある。
で、いまさら「少年ハリウッド」がなんで「怖い」と言われてたかわかる気がしてきた。見たときは、しごく当たり前のことをやっている作品だと思い、なぜそう言われてるかわからなかった。

「ハンサムマストダイ」全話公開されてたのを機に読んだ。全20話のスピード感だからこその面白さとも思いつつ、龍檎はどうやって首輪から逃れたのかとか、前フリがありながらも描かれなかったこととか読みたかったと惜しむ気持ちもあり。主人公の正体が仲間たちにバレる恒例イベントもなかったしな。
shonenjumpplus.com/episode/485

BTS、あるいはバーベンハイマーのときのように「軽々しく扱っていいものではない」と批判するわりに、政府のやりようには無関心だったりなんなら賛同したりするのと通底していやしないか。

駐日パレスチナ常駐総代表部アカウントのポストが「ガザの空爆を原爆と一緒にすべきでない」と批判されている件、「本当にわからないのか」と驚いた。比較や同一化が不適当なパターンもむろんあろうが、今回の場合は明らかに日本人へ向けた共感と助けを求める文脈だろう。

ニュース見てたらNHKがイスラエルの発表を留保なしで報じており、かなりグエーという気持ちに。

人々が無惨に殺されているのみならず、それをなかったことにしようとし、なおかつ嘘をついているのだと罵る。どうしてわざわざそんなひどい形で戦争に加担しようとするのか。

"イスラエルと、パレスチナ自治区ガザ地区を実効支配するイスラム組織ハマスとの戦争が始まってすぐに、4歳の男の子が2人殺された。1人はイスラエル人、もう1人はパレスチナ人だった。"
"2人の死を、ソーシャルメディアで多くのユーザーが否定しまくった。そのやり口は、実際の戦場での戦争と並行して行われる情報戦を、象徴するものだ。"
bbc.com/japanese/features-and-

家族に中東情勢を質問されたので世界史の資料集を引っ張り出したらネタニヤフの名があり、「すでにおったんかお前……」ってなった。

血界戦線の最新話試し読みになんとなく目を通したら、環境保護団体がどうのこうのという出だしで、ありふれたやつだしこのマンガは以前からこういうノリではあったにせよ、内藤さんが暇をフォローしていると知った今では色眼鏡で見てしまうのは避けられなかった。内藤さんに限らず、日本語インターネット空間では「環境保護団体」は昔からああいう扱いなのだが。

X(旧Twitter)ではイスラエルとハマスの軍事衝突及びガザ地区へのジェノサイドにまつわるポストは操作されているらしい(パレスチナ側に立った投稿をしているアカウントをフォローしても自動で外れるなど)とか、イスラエルが積極的にインターネット上でプロパガンダを打っていること、そこへさらにガザ地区のインターネットと電話回線の完全遮断を行ったと聞くと、沈黙を強いるとか批判の封殺とかではとてもじゃないが足りないな。

「堅いイメージの企業がネット受けを狙ってダダ滑り(どころか反感を買う)」と、二十年ちかく前の「世の中にはオタクという珍獣がいるらしいぞ」が合わさったような話だなと感じる。

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三省堂の辞典の件、編者と出版社のコメントを読む限りでは、学生たちの未熟さと採取者自身のオタクとしての当事者性をたてにとった無責任なものにみえた。そうした性質の「辞典」であり、また時代性を保存したいのであれば、三省堂の看板のもと「期待に応えて堂々出版」とうたうのは避けたほうがよかろ。
また侮辱の意図はなかったというが、俗語・隠語にはその種のニュアンスがつきものであるのを理解していないはずはない。
dictionary.sanseido-publ.co.jp

ホタテの殻剥きを受刑者にさせようという案を断念した話、人権の保護には法律が重要だということがよくわかるニュースだ。ただし自前の法律や批判によってではなく、他国の法律がネックになってたまたまそうなった、というのが情けない話ではある。
mainichi.jp/articles/20231027/

秋田作品における「忘れる」が「なかったことにする」で、その逆が「覚えている」なら、「空の棺を埋める」のを暴くのは「思い出させてやる」行為なんじゃないか。
あとオーフェンが暗記が得意で人に聞いた話をやたら覚えているのも、この流れだと別の意味が見出せそう。

原作で「自分の人生を恥じてほしくない」というセリフは、ヴァッシュからウルフウッドへの友誼を感じ取れて好きなんだが、ああ言わせるならウルフウッドの死に様は紙吹雪が舞うようなものではなく、後悔やみじめさに満ちたものだったほうがよかったのではないか。傍から見て後悔と苦しみばかりの人生でも、それでも友人として「生きたこと」を後悔してほしくない、恥じてほしくないという気持ちに切実さが描写できたのではないか、とも思う。

オレンジ版は、メリルを「世間知らずのお嬢様が中年男性に学ぶ」というダサい造形に→敵役のナイヴズを「気持ちはわかるけどそんなやり方はだめだよ」みたいなそもそもの問題から受け手の目を背けさせる処理→主人公に道を指し示す役割であるレムの言動に確たる芯がない、と話が進むにつれてどんどんテーマからズレていったのがな……。
メリルについては、前日譚を描きたいのはともかく工夫がないどころか「荒野の酒場で若い女の子が騒いでたら大変なことになるからロベルトをつけた」と、むしろ工夫してあれというのが脱力する。しかも旅を通じて成長したことを示す描写が「タンクトップ姿にサングラスをかけ、タバコを吸う」で、なにかのギャグのつもりなのかと思った。
レムの言動を原作通りにするにしろ変えるにしろ、ヴァッシュが彼女から指針を得たと作中で示さなければならないのにあやふやな言動止まりだったのは謎。
1期の構成を見ると、足りない描写は完結編でやるだろう、と点を甘くつけることもできない。

オレンジ版はナイヴズの感じたであろう怒りと絶望を「たった一人の弟への歪んだ愛と執着」にしてるのが、わたしとしてはかなりマイナスポイント。
本作に限らず、「敵」に正当な動機を持たせつつ「間違った」行動を取らせて「怒る理由はもっともだが、やりかたが間違っていた」みたいな処理をするパターンにはうんざりしている。

ちょっと前に言ったこれ、「ちゃんとしてた」と書いてしまうと語弊があるな。26話で完結させるための風呂敷の広げ方が、破綻せずちょうどいい範囲におさまっていた、くらいか。
たとえば原作のナイヴズはプラントへの扱いへの怒りが発端だったが、マッドハウス版のナイヴズは人類を見下すようになったのが動機、と「わかりやすい悪役」になっている。
オレンジ版は、残念ながら現時点では「原作でやったことを扱いきれていない」というのが感想だ。まあ原作も取りこぼしはあるんだが……。
QT: fedibird.com/@kisadalog/111197
[参照]

kisadalog  
マッドハウス版も「いやどうなんだこれ」てなところはある(古いアニメだからではなく1999年に視聴した当時からそう感じた)。原作やオレンジ版と比較すると、マッドハウス版はまだしもちゃんとしていたのでは……と四半世紀経って見方が変わった。
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