初代ゴジラをネックスピーカーで観ていたら、息子たちから帝都崩壊シーンが怖いから止めろと懇願されました。
うん確かにあれはきつい。当時のスタッフはフラッシュバックとかにならなかったのか。
朝から気合い付けに伊福部昭のゴジラ・サウンドトラックをカーステレオでガンガンかけて走りました。脅威に蛮勇で立ち向かいたくなる聴くヒロポン。しきね出航。
ポモドーロ・メソッドというやつで、15分なり30分なり時間計測しながらタスクを切り替えて事務作業していたら、捗ったけれど過集中が続くのでものすごく疲れた。
休憩を意識してとらなかったのが敗因です。アホかわたくしは。
秋の空気に何か混ざっているらしく喉が腫れています。花粉症だと思う。
太平記にはもう一つ不思議なところがあって、編集時のミスかもしれないけれど前半と後半に少しずつ内容が重複した菅原道真の話が2回挿入されている。
ここで繰り返されるのが、讒言をいれて道真を無実の罪に問うた醍醐帝が「地獄に堕ちた」とされる箇所。他の部分では明君であった帝ですら地獄に堕ちるのだから、まして他の人はどうであろうか、などと言及されてもいる。この場合の「他の人」とは、名指しはされていないが醍醐帝の諡を継ぐことになったあの人に他ならない。
紫式部先生の男兄弟は、先生の天才性を強調するために凡庸な人として創作では扱われがちなんですが、本人の歌集か何かのエピソードを読むと風狂パンクな人なのよな。斎院に忍び込んだ時にサラッと和歌を詠んで赦されたり、仏の救いを拒否して死んだり。
男きょうだいよりよく出来た、という自慢話を式部先生が書き残すということは、当時は兄さんわりと面白枠の有名人だったのではと思っています。「箒木」の式部丞が兄さんで、左馬頭が夫君だと思うと内輪ギャグとして深い滋味があります。
この2人が編集者的に設定協力したり、仲間内で若い式部先生の小説を回し読みさせたりして、男性読者の獲得に貢献したのではと思っています。天才の裏にチーム有り。
つくばで働く団体職員です。植物や鳥が好きです。