音楽が美しいのは、基本的に雑然としたナマモノである音という現象が、ルールと規則性に則って整えられるからで、美とは整合性のことなんだけど、
では「より美しいもの」とは何かというと、それは高度に整合性のとれたものになるんだよね。
これはロックバランシングを見てみると一発で理解できる。
四角いブロックがきちんと積まれているのも美しくはあるが、より高度な整合性が取れていると、より強い美が生まれるわけ。
だから、より奇抜な音、より扱いにくい音を、どう音楽的にまとめるかというのに俺はすごく興味があって、それが自作の「不思議な音」感の一端を担っているんだと思ってる。
ただの雑音、強烈な不協和音、低音楽器LR極振り、定位設計が崩壊する立体音響、品のない言葉。それらすべてに整合性を取ろうとするっていうのがねえ 好きなんだよねえ。燃えるわけ。
https://twitter.com/Hiroki_Kikuta/status/1765081860684779749
音楽に限らず、美とは整合性のことなんだよね。
たとえば顔が左右対称であるとか、数学的な美しさもそうだし、デザインもそうだよね。
音が、あるルールに沿って整合性が取れた配置になっている、というのを美と解釈されるわけ。
ツイートの例だと、ルールに沿った音階で演奏されているかどうか、ルールを感じさせられるかが肝ってわけだね。
んで逆に言えば、整合性さえ取れているなら美として認識されてしまうというハッキング的ルールがあって、それは俺はよくやっている。
たとえばLにキックがあっても、Rにベースが来れば整合性が取れるので美たりうるとか。
微分音にしても、メロディや流れに整合性が取れていれば美になる。
テンポアップに関しても、アップするに足る理由があればよい。どんなに下品な歌詞でも、明確な理由を付加してやれば美になるのだ。
最近気づいた、実は当たり前じゃなかったこと。
俺は昔、コード進行が理解できない、不協和音が理解できない、歌モノが作れないなどが長い間大きな課題だったんだけど、それは俺にとって、音楽は5秒ごとに飛ばしながら聞くものだったからなのね。
音楽とはその瞬間に鳴っている音を楽しむもので、よほど気に入れば1分半の音楽も聞けたぐらい。それもあって当時のインターネットのアングラ音楽や、視聴を強制されるゲーム音楽が好きだった。
俺が歌モノを聴かなかったのもそのせい。歌が文章を形成する前に飛ばしているからだ。
曲の展開の作り方も、そもそも音楽を通しで聞いたことがないから、ABサビ!みたいな理屈だけ検索して覚えて、それで構成していた。簡単な構成なら十分ごまかしが効いた。
音楽を3分以上黙って聞けるようになったのは実はここ最近のことなんだけど、それは危機感を感じたがゆえの工夫の成果であって、根本的なところは今も変わってない。
これは俺も盲点だったんだけど、人気は欲しいが金には興味のない作り手というのが結構いて、音楽を金に変えたい人からすると、そんなことして数字とっても食えないよ?なんでそんなことするの?みたいに思える行動をとったりする
https://twitter.com/nick_kiyu/status/1763560235711840405?s=46&t=xZ1NXfZSwuY2JYfxVAbmaA
時々、こういうのが本物の音楽というもので、俺のやっていることは紛いもの、あるいは音楽ではない何かだと思うことがある。
https://twitter.com/yussefdayes/status/1763253802604663019?s=46&t=xZ1NXfZSwuY2JYfxVAbmaA
https://twitter.com/24n24k/status/1759882257328930982?s=46&t=xZ1NXfZSwuY2JYfxVAbmaA
絶望的な歌詞に対して、何か希望あるオチをつけたい気持ちと、でも明るく終えたくない気持ちが同時にあるとき、俺がよくやるのは「私はもう死ぬけどそれでみんなが喜ぶのでよかった」みたいなやつです
ボカロP