曲自体へのこだわりはそれはたくさんあるけど、リリースした後の曲の扱われ方に関してはこだわりが本当にないんだよね。
リリースって放流みたいな感覚で、曲は自分のものじゃなくてみんなのものになると考えてるのもあるし、
原曲フルで聞いたとて曲や詞が意図通りに伝わることなんて絶対にありえないんだから、どんな形で流行っても何も気にならないしな。
人気、つまり人と人との間に流れる気なんて濁った川の水みたいなもんで、多少濁った形で流行るのが健全だと思うし、ハハハおもろいな~みたいな、嬉しさしかないな。
ただ、変な扱われ方をしないでほしい!って考えるリスナーも多くいるし、それもそれで尊重したいからあんまり強くは煽らないけど。
https://twitter.com/livedoornews/status/1754282772083134785?s=46&t=xZ1NXfZSwuY2JYfxVAbmaA
大手レーベルがネットで音楽をばら撒かれるのを止めるムーブってのは10年前から何度もあって、それは企業判断として仕方ないんよ。
ただ基本的に多くの有名なボカロPは、その時から実はそれなりのレーベルに音源を預けてることが多くて、それ故にSpotifyに長らく置かれないとか、bandcamp言語道断とか、その手の停止措置に何度も晒されてきたわけ。
だからこそ俺はすごく早い段階、おそらくボカロP最速レベルでSpotifyやbandcamp等々に置き、そして勝手なばらまきや二次創作を煽り、PatreonやFANBOXなど、個人だからできる勝手なムーブをやれてきて、それが今日の海外バズに繋がっているのは柴那典さんの分析でも明らかなのだ。
仕方がないとはいえ「TikTokで自由気ままに使える日本の有名曲」というカテゴリーで、きくおの曲はさらに繰り上がってくるわけで・・・。
音楽が美しいのは、基本的に雑然としたナマモノである音という現象が、ルールと規則性に則って整えられるからで、美とは整合性のことなんだけど、
では「より美しいもの」とは何かというと、それは高度に整合性のとれたものになるんだよね。
これはロックバランシングを見てみると一発で理解できる。
四角いブロックがきちんと積まれているのも美しくはあるが、より高度な整合性が取れていると、より強い美が生まれるわけ。
だから、より奇抜な音、より扱いにくい音を、どう音楽的にまとめるかというのに俺はすごく興味があって、それが自作の「不思議な音」感の一端を担っているんだと思ってる。
ただの雑音、強烈な不協和音、低音楽器LR極振り、定位設計が崩壊する立体音響、品のない言葉。それらすべてに整合性を取ろうとするっていうのがねえ 好きなんだよねえ。燃えるわけ。
https://twitter.com/Hiroki_Kikuta/status/1765081860684779749
音楽に限らず、美とは整合性のことなんだよね。
たとえば顔が左右対称であるとか、数学的な美しさもそうだし、デザインもそうだよね。
音が、あるルールに沿って整合性が取れた配置になっている、というのを美と解釈されるわけ。
ツイートの例だと、ルールに沿った音階で演奏されているかどうか、ルールを感じさせられるかが肝ってわけだね。
んで逆に言えば、整合性さえ取れているなら美として認識されてしまうというハッキング的ルールがあって、それは俺はよくやっている。
たとえばLにキックがあっても、Rにベースが来れば整合性が取れるので美たりうるとか。
微分音にしても、メロディや流れに整合性が取れていれば美になる。
テンポアップに関しても、アップするに足る理由があればよい。どんなに下品な歌詞でも、明確な理由を付加してやれば美になるのだ。
最近気づいた、実は当たり前じゃなかったこと。
俺は昔、コード進行が理解できない、不協和音が理解できない、歌モノが作れないなどが長い間大きな課題だったんだけど、それは俺にとって、音楽は5秒ごとに飛ばしながら聞くものだったからなのね。
音楽とはその瞬間に鳴っている音を楽しむもので、よほど気に入れば1分半の音楽も聞けたぐらい。それもあって当時のインターネットのアングラ音楽や、視聴を強制されるゲーム音楽が好きだった。
俺が歌モノを聴かなかったのもそのせい。歌が文章を形成する前に飛ばしているからだ。
曲の展開の作り方も、そもそも音楽を通しで聞いたことがないから、ABサビ!みたいな理屈だけ検索して覚えて、それで構成していた。簡単な構成なら十分ごまかしが効いた。
音楽を3分以上黙って聞けるようになったのは実はここ最近のことなんだけど、それは危機感を感じたがゆえの工夫の成果であって、根本的なところは今も変わってない。
ボカロP